ウォーキング

ウオーキングをほんの少しそして雨に降られました。

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昨日も雨のなかウォーキングがてら豆腐を買いに出て傘はさしていたものの濡れました。
今日は曇りで傘は持たずでましたが途中から降られ濡れました。

結果的に両日ともほどほどに濡れたことは傘がどうでもいいということではなく、傘を差しても濡れるような雨もあること、すなわち雨量と歩行時間の関係などにより決まることで、傘を持つことが有益と有益でないは自己責任でということでお願いします。ということで。



ちょっと読みかけですが
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・平安時代の朝廷の統治システムと統治範囲  というところで
朝廷が租庸調の「徴税」を完全にカバーできていたのは、初期の段階では、西は畿内から大宰府周辺まで。熊本南部だとかなり怪しくて、鹿児島まで徴税できるようになるのは平安期にいってからになります。北の方では、宮城県の多賀城周辺までです。
・・・・・・・・・・・・
「ちぎりなき かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 浪こさじとは」
という百人一首の歌がありますが、「末の松山」は宮城県の北端で仙台湾から内陸に二キロも入った多賀城市のほ宝国寺の裏山の松林だとされているようですね。・・・・・・多賀城は夷狄(いてき)の征伐の出城のようなところで、このあたりが朝廷の力が及ぶ北限だったわけですね。


へえ~
そういえば「末の松山」が出てきた推理小説があったようなとあらぬ方向で・・・・・・「歌枕殺人事件」でした。

・仁徳天皇の時代には強力な海兵隊があった!? といところで
その頃には古墳時代の海兵隊ようなものができていたのではないか、と私は考えています。摂津には武庫や兵庫も作られました。武庫川などの地名で残っていますね。・・・・・・機動的に兵を運用するためには、日本の場合、海路を使うのがいい。そのための技術が発達していたのではないでしょうか。六世紀に熊本で築造されたチブサン古墳から出土した壁画には、船の絵も描かれています。

チブサン古墳の船の絵を探してこんな発見を
長崎次郎書店
http://www.nagasaki-jiro.jp/
開店の時熊本真っただ中だったのに気づきませんでした。

そして「狐道」をまた読んでます。

「明治維新で 変わらなかった 日本の核心」 からどんどんそれていってます。

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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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