花かつみ

長年住んでいましたが初めて知りました。幻の花「花かつみ」。

花かつみ
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幻の花「花かつみ」
万葉集 巻第四(六七五)をみなへし 佐紀澤に生ふる花かつみ かっても知らぬ恋もするかも古今和歌集 巻第十四 恋歌四陸奥の 安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ万葉集には、中臣女朗(なかとみの いらつめ)が大判家持に贈った歌としてのせられています。
これらの和歌に詠まれた花かつみについて、後に松尾芭蕉が「奥の細道」に「かつみ刈るころも、やや近こうなれば、いずれの草を、花かつみとは言うぞと、人々に尋ねはべれども更に知る人なし、沼を尋ね、人に問ひ、かつみかつみと尋ねあるきて、日は山の端にかかりぬ。」と記しています。これは檜皮(ひはだ)の宿のはずれにある安積山あたりの沼地で捜し求めた様を書いたものですが「花かつみ」はこのように探しても見つからなかった幻の花です。

愛と悲運の「花かつみ」
阿久比町では「花かつみ」は、今から500年ほど前の室町時代にほうきの国(鳥取県西部)から草木の下芳池に移植されたと伝えられています。永禄3年(1560年)桶狭間の合戦に際し徳川家康の武運長久を願い、家康の生母お大の方が坂部城でこの「花かつみ」を「勝つ」という言葉に心をこめて仏前に捧げたという伝説も残っています。
嘉永(1848年~1854年)の頃には尾張14代藩主徳川慶勝に切花として献上され、門外不出の「お止め花」になったとつたえられています。
大正初期の頃、草木の俳人竹内要七が広島県呉市から調査官をまねき調査させたことら幻の花と言われだしたため盗掘されとうとう絶滅してしまったといわれていました。

永遠の花「花かつみ」
昭和になって、草木の俳人で植物愛好家の竹内丁子が、まだどこかに「花かつみ」があるのではと探し歩き、執念実って遂に自生の1株を発見しました。その後地元の篤志家によって密かに保護されてきました。町では、人々に忘れ去られようとしている幻の花「花かつみ」を少しでも知ってもらおうと「花かつみ物語」を発刊しています。また、この物語の町勢映画も製作されています。このことがあって次第に町民にも理解されてきています。昭和62年には「花かつみ保存会」が組織され会員の自宅に移植して株分けするなど、会員の並々ならぬ努力によって一株ずつ増やされていきました。
昭和62年に愛知県企業庁による下芳池周辺の工業団地造成に伴い、池の北側に「花かつみ園」が設置され、今では約2500株の「花かつみ」が咲き誇っています。
<--引用終り 阿久比町教育委員会パンフレットより

偶然に見つけ、まだ少し咲いているだけでしたが、小ぶりでハデハデさはなく気に入りました。
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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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