豊川

青春18きっぷが一枚残っていたので午後から豊川へ行ってきました。

豊川稲荷
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帰りに飯田線一つ豊橋寄りの牛久保駅で降り

今川義元の墓所
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桶狭間で敗れた義元の首のない胴体を家臣が背負いこの地まで逃れこの寺に葬った・・・・・・とありました。

山本勘助ゆかりの地
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引用ーー>
山本勘助は、明応9(1500)年8月15日八名郡賀茂村(現豊橋市賀茂町)に山本藤七郎の三男として生まれ、幼名は源助と名乗っていました。
勘助は15 才で牛窪(現豊川市牛久保町)の牧野家家臣大林勘左衛門貞次の養子となり、名を大林勘助貞幸と改め、26才で武者修行のために諸国(近畿、山陰、山陽、四 国、九州)へ出立するまでの若く多感な時期を、この牛久保の地で過しました。
勘助が諸国を歴遊し武名を高め、35才の冬に大林家に帰還したところ、勘左衛 門に実子が生まれていたため、養子縁組を解き、再び山本性に戻りました。
その後、関東の地を歴遊し、45才で甲斐の国(現山梨県)の武田信玄に仕え、幾多 の戦いで名軍師と謳われましたが、永禄4(1561)年9月10日、川中島の合戦で討死しました。
勘助の容貌は目と足が不自由で、指も満足になく色黒で大変な醜男といわれている。
<--引用終わり

を回ってきました。
勘助の墓もすこし離れたお寺にあったようですが遅くなり見逃しました。

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