アゲ

数年前に関西汽船で別府から大阪南港まで行ったのですが、売店に「あげ」を売っていたのでやたら気になっておりました。
陶器・梅 まつりで家人が南関あげで巻いた寿司を、私はホテルセキアのカレーを食べたこととは一切関係ありませんが、すこし掘ってみました。

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松山あげ 引用
揚げの歴史を文献でたどると、江戸時代にはすでに愛用されていたと記されています。当時は、豆腐油揚げと呼ばれており、精進料理などによく使われていました。ですが、生の油揚げにかわる干油揚げ(松山あげ)の製造が、いつの頃から、なぜ作られ始めたのかは定かではありません。
松山あげ(松山揚げ)は私共の初代が、明治中期より生揚げに変わる日持ちの良い油揚げの製法が無いものかと考え、当初は干油揚として企業化いたしました。
この干油揚は軍隊の物資としても重宝がられました。また南氷洋捕鯨、北洋鮭鱒船団、南極観測船『宗谷』のキッチンでも活躍しましたことは有名です。
その後、国鉄(現JR)が松山に開通した頃、伊予の名産にふさわしいところから『松山あげ』と命名致しました。

南関あげ 
南関あげは、1637から38年にかけて起こった島原の乱の後、人口が減少したために、四国伊予松山地方の人々が大勢移住してきた際に、あげの製法を知る者がおり、そこから始まったと伝えられています。
南関あげは、大正時代は幅がもう少し狭く、身が厚かったと言われていますが、夏場どうしても腐りやすくなってしまうあげを、長期保存できるように、もととなる豆腐を薄くしたものが、現在の南関あげの原形になったと思われます。
   引用おわり

現在の商売ベースでの日持ち対応は、それぞれ明治、大正のようで、その方法が移転されたのかどうかは不明です。しかし、あげが伊予松山から伝えられその後、同様なものが作り出されている状況は深堀したくなりますねえ。でもしませんが・・・・意外と全国あちらこちらにあったりして?。
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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

Comments 2

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eri  

へぇ~~~~×いくつ?!

深いなぁ。。。

2009/03/10 (Tue) 01:03

田舎亭主  

どうでもよいことを掘ると結構おもしろいです。
南関アゲがどうでもよいということではありませんが!
お茶屋跡で30分はもりあがる?

2009/03/11 (Wed) 00:27

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