5月22日

おっとと5月22日になりました。

愛知のMさんと熊本の私は5:42からTALK。(黒文字は愛知のMさん)
今日は風が強いです。間もなく田植えが始まります。

苗箱そこそこ重いです。励んでください。メニューの写真撮影です。


食欲振り返り
きぜずして(思いがけず)4月と5月の、同じ日の11日に、ほぼ同じ時刻の13時8分と13時14分に、同じ手こね寿司と伊勢うどんのセットを食べています。
GR003182.jpg IMG_3628.jpg
後者、11日伊勢おかげ横丁での伊勢うどんの方が伊勢うどんらしい気がします。

引用ーー>
志摩地方の手こね寿司
鰹や鮪などの赤身の魚を醤油を中心としたタレに漬け込んだ後、寿司飯へと合わせて食べる。好みにより、大葉や生姜、海苔などをちらす。観光案内では漁師が漁の合間に食べた食事がもとであり、考案したのは志摩町和具(志摩市)の漁師とされ、沖での忙しい鰹漁のさなかの食事として、獲れた鰹を千切りにして醤油を付け、炊きたてのご飯に手で混ぜて食べたのが始まりとされる。
しかし志摩地方では1938年(昭和16年)4月の米の配給以前は米はハレの食事に限られていたこと、明治中期以前はカツオ漁は手漕ぎ船による沿岸・近海に限られていたので船上で食事をとる必要がなく、鮮度保持のために冷蔵・冷凍が用いられるようになるまではただちに帰航し水揚げしていたなどの理由から、由来が忘れられたあとの聞取り調査の結果によるもので、本来は大漁のときの祝いとして船主が船員にふるまったハレの食事[2]がカツオ漁の形態の変化とともに船上での食事となり、陸上でもハレの食事として残ったのであろう。
昭和20年代までは寿司飯の上に魚の切り身を乗せるだけであったが、昭和30年代以降に海苔などを上にかけるようになった。昭和40年代に地方色のある観光客向けの郷土料理として着目され伊勢市にも広まり、伊勢うどんと並ぶ伊勢志摩を代表する郷土料理として知られるようになった。ふるさとおにぎり百選・農山漁村の郷土料理百選に選定されている。
<ーー引用終わり

引用ーー>
伊勢うどん(いせうどん)とは、三重県伊勢市を中心に食べられるうどん料理の一種。また、それに使用する麺類の地域団体商標。
特徴
かけうどん(素うどん)のように多量のツユに浸ったものではなく、たまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えた、黒く濃厚なつゆ(タレ)を、太い緬に絡めて食べるものが主流。太い麺は長時間かけて柔らかくゆで上げられており、具やトッピングが少なく、薬味の刻みネギだけで食べることが多い。
タレの色(そばつゆとは別物)は非常に濃く、塩辛いと誤解されがちであるが、見た目程の塩分はなく、概して旨味と甘みが強く、後味がまろやかである。この濃いタレの色は、たまり醤油の色である。
麺は極太で、直径1cm前後のものが多い。非常に柔らかく、もちもちしており、一般的なうどんとはかけ離れた食感を持つ。そのため、博多うどんのように、柔らかいうどんが好まれる地域の人には受け入れられやすいが、讃岐うどん、五島うどんのような「コシが大事」という考え方の人には好かれない。極太麺であるために、麺を茹でる時間が非常に長く、通常のうどんが15分程度であるのに対して1時間弱ほど茹でる。コシがないと評されることも多いが、打ち立ての麺にはグルテンによるコシがあり、それを柔らかく茹であげているのであって、コシのない麺だと1時間近くも茹でると溶けてしまう。店や料理人ごとに手法は異なる場合もあるが、それぞれが伊勢うどんの特徴である表面はふんわりとしていて、中はもちっとした麺の食感を出すべく工夫している。
伊勢うどんは、ゆで続けているため、すぐに提供できること、また、汁がないため、すぐに食べ終わることができる。お伊勢参りで混み合う客を次々さばくのにも適したメニューともなっている。
具は、刻みネギだけか、好みで生卵をトッピングするだけという店が多いが、天ぷらを載せたものを出す店も珍しくはない。また、店によっては、タレではなく一般的なかけうどんのようなつゆで提供する事もあり、数少ないが、焼きうどんを提供する店も存在する。

歴史
江戸時代以前からこの地の農民が食べていた地味噌のたまりをつけたうどんを、食べやすく改良したものといわれる。もともと、農民が作っていたことから、できるだけ手間がかからず、延ばす手間がいらない太い麺と、また安く済むネギだけの具といううどんが形作られたのではないかと考える人もいるが、実際には米などの粒食が日常の食事であったのに対して、小麦を粉に挽いて作るうどんは祭りの時に手間をかけて作る、ハレの日の食事であり、最高のごちそうと考えられていた。
浦田町橋本屋七代目である小倉小兵がお蔭参りの参詣客へと供するためにうどん屋を開業したのが、伊勢のうどん屋の最初と言われている。すぐに参拝客に提供できるように常に茹で続け、必要量を釜揚げしていたため、茹で時間を気にしなくてよいうどんが適していたともされる。他に、神宮へ長旅をしてきた人向け(疲労が溜まっている人向け)の食事として江戸時代に開発された料理であり、疲労が溜まった人向けなので消化が良くなるように麺が柔らかいという特徴を持つようになったのではないかという説もあるが、記録によるものではない。
ミキモト真珠島には、かつて伊勢神宮かいわいのうどん店で使われていた手塩皿サイズの食器が展示されており、当時は少量の伊勢うどんを必要な分だけお代わりしていたことがうかがえる。
伊勢市でも、1960年代にはまだ手間がかかるため店で食べるものであった。伊勢うどんの麺の小袋化を始めた山口製麺有限会社の先代と、ミヱマン醤油合資会社西村商店の先代社長が協力し、「伊勢のうどんつゆ」をつくりあげたことから、手軽に自宅で「伊勢うどん」を食べることができるようになった。それから、子供たちだけでも簡単につくれるようになったことから、伊勢の家庭の冷蔵庫には、うどん玉とミヱマン伊勢のうどんつゆが常備されることになり、忙しい親にとっては、ありがたい食べ物になっていった。実際、伊勢の子供は、離乳食で食べ、自分の初料理で食べ、夜食に食べ、何にもないから、「伊勢うどん」というのが当たり前になっていった。
なお、ベトナムのホイアンには「カオラウ」という小麦を原料とする太麺の料理があり、17世紀前半の朱印船貿易時代の伊勢商人が持ち込んだ伊勢うどんをルーツとする説がある。
<ーー引用終わり
のようです。


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