2月14日

年が変わりましてはやくも2月14日雪の朝になりました。間があきました。

愛知のMさんと6:17からTALK。
室温8度です。
4度です。
雪が降ってます。少し積もってます。


ひょんなことから発見購入しました。250円
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文学に見る“浮浪・人夫・野垂れ死”より 引用ーー>
高木護が挙げている人物より(『人間浮浪考―野垂れ死の系譜』、 1973 年)
木喰上人(江戸時代)住まいの小屋の脇の穴の中で死亡、冬を越して発見された。
種田山頭火(明治 15 ~昭和 15 : 58 歳)俳人: 放浪と行乞の末、草庵で亡くなる。
長谷敏男(明治 45 ~昭和 38 : 53 歳)詩人:泥酔して保護された病院で死亡。
辻潤(明治 17 ~昭和 19 : 61 歳)作家:居候先の友人宅で餓死。
尾形亀之助(明治 32 ~昭和 17 : 43 歳)詩人:下宿の一室で衰弱死。
宗不早(明治 17 ~昭和 17 : 59 歳) 歌人:阿蘇 にて 消息を絶つ。数カ月後、遺体で発見。
尾崎放哉(明治 18 ~昭和 15 : 42 歳)俳人:酒で身を持ち崩し、小豆島の寺で結核死。

高木護
1927年(昭和2年)0歳 熊本県鹿本郡山鹿町にて生まれる。2男5女の長男。
1939年(昭和14年) 12歳 父の転職などで8回ほど転校の後、山鹿町小学校を卒業。
1942年(昭和17年) 15歳 山鹿実業学校を卒業。福岡市の丸善博多店に就職。
1944年(昭和19年) 17歳 三重県鈴鹿の気象連隊を経てシンガポールに軍属で派遣。
1945年(昭和20年) 18歳 マライ州で現地入隊。その後、レンパン島で抑留生活。
1946年(昭和21年) 19歳 復員して帰国。両親は既に亡く、弟妹5人が残されていた。
1947年(昭和22年) 20歳 山の中に炭小屋を作り、そこで暮らす。その後、弟の家の居候、土方や農家の日雇取りをする。『詩と真実』の同人になる。
1949年(昭和24年) 23歳 いろいろな職業を転々とする。ガリ版詩集『裏町悲歌』を刊行。松永伍一編の『交叉点』に参加。九州の作家・詩人との出会いがある。後、短編小説、詩、童話を書くようになった。
1954年(昭和29年) 27歳 詩集『夕御飯です』を刊行。*20代は創作活動が盛んだった。
1955年(昭和30年)
28歳 放浪を始める。野宿をしながら九州一円を歩き、その後、筑豊の炭鉱住宅の廃屋に住み、ボタ山のガラを拾って暮らす。
1959年(昭和34年) 32歳 谷川雁と森崎和江のサークル村の居候をした後、翌年から八幡で「人夫」業を遍歴、北九州の労働下宿を転々とする。
1962年(昭和37年) 35歳 ノロの下敷きになり全身打撲になる。
1963年(昭和38年) 36歳 労働下宿を追い出され、浮浪者暮らしに。11月、『週刊女性自身』が「本誌が発見した放浪詩人」として特集を組む。結婚希望が殺到、その中から北九州出身で東京で看護婦をしていた女性と結婚する。⇒これが人生の転機に
1964年(昭和39年) 37歳 結婚して上京。妻に養ってもらいながら、執筆活動を始める。
1965年(昭和40年) 38歳 『放浪の唄』、詩集『夕焼け』を刊行。
*安定した生活の中で以後も次々と作品を発表。
1969年(昭和44年) 42歳 『辻潤著作集』全6巻別巻1を編集。
1980年(昭和55年) 53歳 『木賃宿に雨が降る』、詩集『天に近い一本の木』。読者から、
電話で「あんた、人夫やったことがあるかい」と説教される。
<--引用終わり

高木護 今、市の教育文化課に問い合わせてもらっています。


百華百彩(ふるさと市場出店で出向きました)
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先週↑で三脚をめぐるカメラマン同士の喧嘩があり三脚が使用禁止になっていました。なさけない。


引用ーー>
“野垂れ死”―“野垂れ死”もまた人間になる修行の一つの結果である。
・ここに宗教倫理的なものをあえて見出そうとするならば、飄々と浮浪する中で、自ら
を律していこうとする姿勢である。一人なら一人分で生きるのが人間のあるべき姿。
最後が野垂れ死に終わったとしても、人間になる修行の結果であれば、それもまた良
しと見なす。⇒人間になる主体的な生き方への「覚悟」を問いかける。
「行き倒れのほとんどが浮浪者たちで、身元不明が多いとのことである。性別に分
けると、これまたほとんどが男たちであるという。
行き倒れで死んで逝った人たちを、一概に野垂れ死だとばかりはいえないかもしれ
ないが、野垂れ死の同類には違いなかった。死んで逝くまでの理由はともあれ、自ら
「いのち」を絶たなくとも、死ぬ心構えというか、意思があったかどうかが問題であ
ろう。 / ここでは死んで逝くにしても、その心構えや意思のある者たちの死を、野垂
れ死にとしたい。」 『野垂れ死考』 ( 62 頁)
「行き倒れになるにも、野垂れ死をするにも、「時」というものがあるはずじゃ。
人間になる修行をして、人間の道を歩き、もっとも人間らしく生きた上で、しっかり
と覚悟を決めて、あの世逝きをしなければならないだろう。食えないから、病気で苦
しいから、この世が厭になったから、悪いことをしたから、淋しいから、悪いやつに
騙されたから、裏切られたから、夢をなくしてしまったから、生きて行く自信がない
から、なんとなく死にたくなったから、なんて死んで逝くやつは、理由はともあれ、
たとえ死の結果が行き倒れや野垂れ死にであったとしても、そんなのはただの死でし
かない。わしらが心に大事に仕舞い込んでいる行き倒れや野垂れ死には、ただの死で
はない。「生」の世界が差別だらけだからといって、腹いせに「死」の世界まで差別
するのではないぞ。この世に人間としてうまれてきた者なら、人間になる修行をやら
なければなるまい。これは当たり前のことじゃ。うまれつき、神様や仏様のような者
なら、いざ知らず、わしらみたいなできそこないの屑のろくでなしが、より人間であ
るためには、人間らしく生きて行くためには、心して修行をやるしかないだろう。よ
り人間になる、人間らしくなる修行をやった上での覚悟の死こそ、わしらは行き倒れ
といいたい。野垂れ死にといいたい。」 『野垂れ死考』( 107 頁)
「人間」になるという修行
<--引用おわり

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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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