一月二十三日

若干バタバタ治まり中、平戸道中(一月二十三日)。

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水には少しだけ興味がありまして黒ラベルを飲みました・・・・。
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有田
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坊っちゃん 抄
赤い模様のある瀬戸物の瓶《かめ》を据《す》えて、その中に松《まつ》の大きな枝《えだ》が挿《さ》してある。松の枝を挿して何にする気か知らないが、何ヶ月立っても散る気遣いがないから、銭が懸らなくって、よかろう。あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里《いまり》ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器《とうき》の事を瀬戸物というのかと思っていた。                                                   
                                              夏目漱石 (青空文庫)

瀬戸物と唐津物ーー>
普通焼物というと、先ず白く硬いガラス質の飯茶碗などをイメージして瀬戸物と表現しますよね。実際はそうしたガラス状の焼物は磁器と云い、瀬戸焼といえば江戸期末までは陶器だけで、磁器はほとんど伊万里焼の独壇場だったのです。とはいえ17世紀の江戸では焼物は瀬戸産が多いこともあり、すでに陶磁器のことを総称して瀬戸物と呼んでいたため、江戸後期に肥前磁器が広く市井の隅々まで普及しても、やはり瀬戸物と呼称されて今に至るわけです。磁器という言葉を知らない時分、焼物は何でもかんでも「瀬戸物、瀬戸物」と呼んでいました。 
ちなみに本来、伊万里焼というのは伊万里港から出荷された磁器製品の総称で、有田、波佐見、三河内などで生産されました。現在骨董としての「古伊万里」といえば、一般に古伊万里様式の肥前磁器を指します。柿右衛門様式、古九谷様式、鍋島様式の肥前磁器は「古伊万里」とは分けて、それぞれの様式名で呼ばれているのはご存知のとおりです。ここで疑問を感じる先生がおられるかもしれません。というのは古九谷様式を肥前磁器としていることです。九谷焼は江戸前期に加賀国で始められた焼物ですが、「古九谷」の特徴的な色絵の施された磁器片が、地元ではなく有田の窯跡から近年発見されました。ですから私たちが「古九谷」と称している焼物のほとんどは、実は有田で絵付けされた可能性が高いのです。さて、話を戻しましょう。江戸末期以降、磁器焼成の技術は、需要の拡大、殖産興業の進展に伴って瀬戸や京都、砥部を始め全国各地に広がっていきました。
ところで一方関西では焼物といえば、比較的近年まで唐津物と表現されていました。実際、高知県においてお年寄りが今も飯茶碗を「唐津」と呼んでいるのを私は耳にしています。「唐津」も「伊万里」同様に肥前一帯で焼かれていた製品ですが、「唐津」は磁器ではなく硬く焼き締まった施釉陶器で、磁器が有田で開発されるまでは瀬戸焼に並ぶ主要陶器として発展し、主に関西方面に出荷されていたのです。
<--たぶんわかる?古陶磁入門より
とあります。

瀬戸市の近場の家人が有田で、なんで瀬戸物というのかを質問しておりました。はっきりした答えはなかったようなのでこの際「坊っちゃん」です。
なるほど?引用ばっかりで・・・・。
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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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