神社

初詣もとどこうりなくということで、前の本を引っ張り出してみました。

神社のルーツと神社の系譜
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神社のルーツはとりあえずの辞書的に
都市、山、海、武・文・人神も系統別に系を分類し、信仰のルーツ、特徴、祭神などが述べられていてわかりやすいです。宮参りに行く時どういうお宮か少しでもわかっていると面白いかもしれません。また行った機会に由緒書をもらってくるといいでしょう(さっぱり分かりませんが)。

神社の系譜
太陽の動きを、神社の配置に応用した「自然暦」で系譜を考えている。ようするにピラミッドなど夏至の太陽の光がどうのこうの、影がどのこうのを神社の配置で捕らえています。
第一章 怨霊の神々
 ・神田神社  伝説の絶えない場所  なぜ東京のど真ん中に
  首塚伝説すべては祟り
 ・北野天満宮 行きはよいよい帰りはこわい 荒ぶる怨霊神
  とうりゃんせ の歌詞が荒ぶる神をものがたっている とのこと

祟り引用ーー>
日本の神は本来、祟るものであり、タタリの語は神の顕現を表わす「立ち有り」が転訛したものといわれる。流行り病い、飢饉、天災、その他の災厄そのものが神の顕現であり、それを畏れ鎮めて封印し、祀り上げたものが神社祭祀の始まりとの説がある。
現在では一般的に、人間が神の意に反したとき、罪を犯したとき、祭祀を怠ったときなどに神の力が人に及ぶと考えられている。何か災厄が起きたときに、卜占や託宣などによってどの神がどのような理由で祟ったのかを占ってはじめて人々に認識され、罪を償いその神を祀ることで祟りが鎮められると考えられている。神仏習合の後は、本来は人を救済するものであるはずの仏も、神と同様に祟りをもたらすと考えられるようになった。これも、仏を祀ることで祟りが鎮められると考えられた。しかしこれはあくまでも民間信仰、つまり一つの見解であり、仏教本来の考え方においては、祟りや仏罰を与えることはない。
後に御霊信仰の成立により人の死霊や生霊も祟りを及ぼすとされるようになった。人の霊による祟りは、その人の恨みの感情によるもの、すなわち怨霊である。有名なものとしては非業の死を遂げた菅原道真(天神)の祟りがあり、清涼殿への落雷や醍醐帝の死去などが祟りによるものと強く信じられるにいたった。時の公卿は恐懼して道真の神霊を北野天神として篤く祀り上げることで、祟り神を学問の守護神として昇華させた。このように、祟り神を祭祀によって守護神へと変質させるやり方は、おそらく仏教の伝来以降のものと考えられ、それ以前の最も原始的な日本人の宗教観は「触らぬ神に祟りなし」のことわざどおり、御室の深奥でひっそりと鎮座する神霊を、機嫌を損ねて廟域から出ないように、ただ畏れて封印するものだったのかもしれない。
一方、怨霊として道真と並んで有名な平将門の将門塚周辺では天変地異が頻繁に起こったといい、これは将門の祟りと恐れられた。時宗の遊行僧・真教によって神と祭られて、延慶2年(1309年)には神田明神に合祀されることとなった。また、東京都千代田区大手町にある将門の首塚は移転などの計画があると事故が起こるという話もある。
全国各地にみられる「祟り地」の信仰も原始的な宗教観を映し出していると見ることが出来る。祟り地とは特定の山林や田畑が祟ると恐れられているもので、そこで木を伐ったり、所有したりすると家人に死者が出るという。東海では「癖地」「癖山」などといわれ、地方により「祟り地」「オトロシ所」「ばち山」「イラズ山」などの呼称がある。こういった場所には昔、処刑場があったとか縁起の悪い伝承が残っていることが多いが、このような土地は古えの聖域、祭祀場であり、本来、禁忌の対象となっていたものが信仰が忘れられて祟りの伝承だけが残ったという見解もあり興味深い。
神木や霊木の祟りも全国によく見られる話である。日本では今でも古くからの巨木・老樹に対する信仰が残っているが、民間にも老樹にまつわる祟り伝承があり、信州には斧で切ると血を流したという一本松の伝説があり、各地に似たような話が伝わっている。
同様に「動物霊」も祟ると考えられており、特に猫の怨霊は恐れられ、「猫を殺すと七代祟る」といった俗信がある。
<--引用終わり                       Wikipediaより

呪い引用ーー>
呪い(のろい)とは、人あるいは霊が、物理的手段によらず精神的・霊的な手段で、他の人、社会や世界全般に対して、悪意をもって災厄・不幸をもたらす行為をいう。「呪う」という言葉は「祝詞(のりと)」と語源的には同じで、「宣(の)る」に反復・継続の助動詞「ふ」が接続したものであり、古代の言霊信仰に由来するものと思われる。
日本では既に死んだ人・動物や神霊がなす呪いを特に「祟り」と呼び分けることが多い。呪術(まじない)とも関係が深いが、呪術という言葉は意図および結果の善悪にかかわらず用いられるのに対し、呪いという言葉はもっぱら悪い意味で用いられる。
呪いは生きた人間による場合には、呪文、祈祷、その他の言語的、呪術的または宗教的な行為によって行われるとされることが多い。具体的には宗教・文化的背景によって様々な違いがあり、神・悪魔その他の強力な霊の力を借りてなされると考えられたり、あるいは自己の霊能力によると考えられたりする。
俗に、単なるジンクスを何かによる呪いと考えて、「何々の呪い」と呼ぶこともある(都市伝説の呪い)。

<--引用終わり                          Wikipediaより

ちなみに弁当の呪い←クリックで飛びます。
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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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