12月21日(水)

今日も医者行きをしましたが、どうせだからもう一軒行こうと医者の二次会ではありませんが行きましたところ、なんのことはない休みでした。休みではないはずなのに気になったしだいです。(前者歯科、後者眼科)

最近バッグからカメラを出すと電源が入っていることが多くどうも消し忘れが多々あるようです。何故かなと考えますと加齢ということも一つの要素ではありますが、それを助長させるのがバッテリーが長持ちするようになったからだと思います。
フィットのハイブリッドが出て直ぐ買われた方がいて「どぎゃんですか?」と聞いたところ「ガソリンば入るっとばうつ忘るるごたる」と・・・・この場合ごたるなので、実際に忘れたわけではなくかつて経験したことのないほどの低燃費である、ことの表現だと思われますが、カメラの電源は事実です。
何がいいたいかといいますと「便利になりすぎると○○になる」ということです。

今朝方、煙がモウモウでなんじゃろか?と1階に降りましたところ、味噌汁が炭化していて気が付くのが遅ければ危ないところでした。
母親はそばの炬燵でなにさわいどるのと、気が付いている様子はなく「燃えよったい!」と思わず叫んでしまいました。そして「そうたい味噌汁たい」とやっと気が付いたしだいです。
義務化された火災報知器は購入したままになっていました。なんと各部屋に取り付ける必要があるようですが、全部いきなりというわけにはいかず、優先順位を考えなければと思っていた矢先でした。
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気が付いて一番ガックりきているのは母親だと思います。
無論防止策はとことん考えた上ですが、もう忘れるということに謙虚になり補間するしかありません。
薪で味噌汁を作っていたらこんなことにはならないかもと思うのは私だけでしょうか?


昨日から病院の待ち時間にと再び手にした本
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哲学は自分を深くしるための・・・・もっともすぐれた技術(アート)なのだ!にひかれ睡眠導入本として、以前に入手したものです。
若い頃に、ヘーゲルやカントやサルトルを齧っていたが、そのときはまるでちんぷんかんぷんで、哲学はなんと難しいと思い続けていたそうで、その後フッサールの現象学(現象学の基本問題は、主観と客観は果たして「一致」するか、というもので、いいかえると人間の認識がありのままの「現実」をいかにただしく捉えられるか)を読み
その後ヘーゲルの弁証法における「概念と対象の運動」という考え方が、要するにこの「認識と現実の問題」の変奏だと判ったとき、ひどくびっくりしたと、ヘーゲルはなにか摩訶不思議で、高尚遠大な思想をいう人だと思っていたからである。「哲学者ってみんな同じことをやっているだけではないか」と
哲学の目的は、世界を「正しく」「完全に」認識することにあるのではない。そういう出発点があったとしても、その目標は原理的に不可能なものだ。むしろ哲学はそれを生きてみる人間が、自分自身を絶えず新しいかたちで了解し、そのことを通じてより深く生きる、そういう道のひとつの手だて(=技術)をもたらしてくれる(もちろん哲学だけがその手だてではないが)ものなのである。

歴史にしても、現実に見てきたものはいないので新説がでても、正しいとも正しくないとも誰もいえないとかねがね思っていたのですが、目の前にあることさえ主観と客観は一致するのか、という現象学の基本問題を含んでいるのです。
このメロンが美味しいですよとはいえないのです。私には美味しいですが、ひょっとしたらあなたにとっても美味しいと思われるかもしれません、とにかく食べて自分で判断してください。

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今昔田舎亭
Posted by今昔田舎亭

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