病院

今年初めての刈谷豊田総合病院行きでした。

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昨年の9月14日に入院手術をし本日をもってこの件による刈谷豊田総合病院への通院は終了しました。
何かあった場合はまず家の近くの病院へ行くことになります。

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中村公園(名古屋市)

昼過ぎから初めて行ってみました。

清正       秀吉
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熊本県人としては清正が・・・・・・熊本城復興支援の御朱印

雨模様

午後雨が降り出しました。

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飛行機雲

外に出たら飛行機雲が

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いったい何機飛んだのでしょうか。

少し暖かい

正月に録画したグレートトラバース(200名山人力踏破)を見てました。

家からの夜景
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昨日の知多八十八箇所参りで「今日どこまで行かれるのですか?」とお話しした方が・・・・・・「左目が見えなくなってきていて、自分でもなにかしたいので歩いてます」とまだまだ若い方でした……それぞれのいろいろな思いで歩かれてます。

知多八十八箇所

2017年二度目のお寺参りです。

21番:常楽寺 22番:大日寺 23番:蓮花院 24番:徳正寺 25番:円観寺 の五ケ寺を回りました。

24番と25番の間の道すがら(名鉄河和線 知多武豊・富貴間)
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今日も寒かったのです

1月11日以降久々の地元(家から)ウォーキングです(事情があって遠征ウォーキングは何度かしてましたが)。

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寒いです

大半を図書館で過ごしました。

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桶狭間

毛糸が足りないとのことで手芸ーセンターに行きました。
ついでに桶狭間にも寄ってみましたが下調べもなく行ったので桶狭間古戦場伝説地へ

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織田コース、今川コースなどがあるようですのでいつか歩いて回ってみたいと思います。

冷えます

冬用タイヤが届いたということで午前中にタイヤ交換に行きました。
冷えます。店の方が瀬戸から通ってこられてるようで朝は雪だったといわれてました。


寒いのでうどんにしようと夕方買い物に行きましたが
こんなのを
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駅名

1月17日二子山古墳に行ったとき名鉄小牧線の読めない駅で降りました。

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名鉄小牧線には味の字のついた駅名が3駅(味鋺、味美、味岡)あり、平安通から小牧までの間15駅中3駅となんで?と思わざるをえません。東西南北の方角とか上、中、下とか前、後とか本、元とかはわからなくもないのですが、関連があるのかないのかさえ想像ができません。

そんなことで
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読んでみてます。

名古屋に

大須、矢場町、鶴舞あたりを歩きました。

バス停
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シェアサイクル
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こんなのがありました。

二子塚古墳

知多半島唯一の前方後円墳といわれている二子塚古墳 (阿久比町)に行ってきました。

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ポケモンのストップになっていました。

二子山古墳

元バイト先のそばに双子塚古墳(岩原古墳群)というのがありましたが、春日井市の二子山古墳に行ってきました。

名鉄小牧線の味鋺(あじま)駅から徒歩10分ほどです。

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ここには 御旅所古墳、白山神社古墳、二子山古墳 (味美(あじよし)古墳群)です。

引用ーー>
二子山古墳(ふたごやまこふん)は、日本の古墳の名称。同名の古墳が各地にある。
群馬県高崎市にある井出二子山古墳(保渡田古墳群として国の史跡に指定)。
群馬県前橋市総社町にある総社二子山古墳(国の史跡)。
群馬県前橋市文京町にある天川二子山古墳(国の史跡)。
埼玉県行田市にある古墳。⇒二子山古墳 (行田市)参照。
愛知県春日井市にある味美二子山古墳(国の史跡)。
愛知県名古屋市中区にあった大須二子山古墳。

二子塚古墳(ふたごづかこふん)
二子塚古墳 (川崎市) - 神奈川県川崎市高津区にあった前方後円墳。玉川とともに二子玉川の地名の由来になった。
二子塚古墳 (太子町) - 大阪府太子町にある双方墳
二子塚古墳 (阿久比町) - 知多半島唯一の前方後円墳といわれている。愛知県知多郡阿久比町にある。
二子塚古墳 (福山市) - 広島県福山市にある前方後円墳
<--引用終わり

双子塚古墳と二子塚古墳は同じか違うのかわかりませんが、ただ二つの高いところがあり前方後円・後方墳のことのような気もします。

古墳より飛行機の方が気にり携帯付属の写真機しかなく残念でなりませんでした。
近くに名古屋飛行場があるようです。

白川公園

大雪の影響で電車のダイヤは乱れてましたが名古屋白川公園に行ってきました。

名古屋市科学技術館
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名古屋市美術館
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ここには名古屋市科学技術館と名古屋市美術館があります。
(月曜日は休日でない限り休館日です)

朝雪が積もっていました。

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雪模様

午前中 雪がひどい時は森の中に逃げ込んでやり過ごしながら公園を歩いてました。

大高緑地公園
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こんな中でもランニングしたり子供ずれで来ておられました。

知多八十八箇所

2017年最初のお寺参りです。

番外:東光寺 54番:海潮院 18番:光照寺 19番:光照院 20番:龍台院 の五ケ寺を回りました。


JR武豊線半田駅
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寒かったのです。

冬の天気

夕方ウォーキングへ

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めまぐるしく変わる

愛知健康の森へ

定点
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天気がよく変わり雨が降ってもやがて止むのでなんとか歩けましたが人出は非常に少なかったです。

記号

定例の医者行でした。

HbA1cがわりと低かったので
「術後(10月)以降ポケモンGOで500kmほど歩きました」と

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そんなこんなで昼食は山喜のうどん
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にしてみました。

結果として少し
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歩きました。


高さ約50mm R2-D2をチラッと
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電池交換をしたいので開けてみました。
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CR2025でした。

2017年 日常へ

6日から学校も始まり誕生日などのイベントも終わり日常に戻りつつあります。

於大公園の施設(このはな館)
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そばには宇宙稲荷大明神も
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引用ーー>
於大公園(おだいこうえん)は乾坤院(けんこんいん)東隣の自然地形を生かして作られた都市公園です。面積12.1ヘクタール、外周散策コース約1.4キロメートル、四季折々の緑や花が溢れ、野鳥や昆虫も多く集まる自然豊かな環境が特徴です。
「於大の方(おだいのかた)」の夜着の柄である菊の花びらをモチーフに建築されたこのはな館公園事務所が公園の中央にあり、公園の自然や植物、生き物をテーマに緑の講習会や緑の展示会を開催しています。
薬木約100種類、薬草約60種類を植栽している薬木薬草園、絶滅危惧種のオニバスを栽培するオニバス池、400本の桜、60本の枝垂れ梅、緑に囲まれた小さなバラ園、花菖蒲、竹林、沿道やこのはな館まわりの花を中心とした植栽、緑のカーテン、紅葉など、1年を通して散策を楽しむことができます。
<--引用終わり

引用ーー>
享禄元年(1528年)、尾張国知多郡の豪族・水野忠政とその妻・華陽院(於富)の間に、忠政の居城緒川城(愛知県知多郡東浦町緒川)で生まれた(青山政信の娘で忠政の養女であったという説あり)。
父・忠政は緒川からほど近い三河国にも所領を持っており、当時三河で勢力を振るっていた松平清康の求めに応じて於富の方を離縁して清康に嫁がせ、松平氏とさらに友好関係を深めるため、天文10年(1541年)に於大を清康の跡を継いだ松平広忠に嫁がせた。天文11年12月26日(西暦1543年1月31日)、於大は広忠の長男・竹千代(後の家康)を出産した。
しかし忠政の死後、家督を継いだ於大の兄・信元が、天文14年(1544年)に松平氏の主君・今川氏と絶縁して織田氏に従ったため、於大は今川氏との関係を慮った広忠により離縁され、実家・水野氏の三河国刈谷城(刈谷市)に返された。於大は天文17年(1547年)には信元の意向で知多郡阿古居城(阿久比町)の城主・久松俊勝に再嫁した。これは、俊勝が元々水野氏の女性を妻に迎えていたが、妻の死後は水野氏と松平氏の間で帰趨が定まらなかったため、松平氏との対抗上その関係強化が理由と考えられる。俊勝との間には3男3女を儲ける。また、この間にも家康と音信を絶えず取り続けた。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い後、今川氏から自立し織田氏と同盟した家康は、俊勝と於大の3人の息子に松平姓を与えて家臣とし、於大を母として迎えた。於大は俊勝の死後、俊勝菩提寺の安楽寺で剃髪して伝通院と号した[2]。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い後、子の松平定勝が羽柴秀吉の養子になるという話が浮上したが、強く反対し、家康に断念させた。慶長7年(1602年)には、高台院や後陽成天皇に拝謁し、豊国神社に詣でて徳川氏が豊臣氏に敵意がないことを示した。
同年、家康の滞在する現・京都府京都市伏見区の山城伏見城で死去。遺骨は江戸小石川の傳通院に埋葬された。法名は傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼。菩提寺は各地に建てられた。
なお、於大の出生地・東浦町は彼女を記念して緒川の地に「於大公園」を整備し、毎年「於大まつり」を催している。
<--引用終わり

徳川家康の母と宇宙なんか関連があるのでしょうか。


久々の愛知健康の森
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久々の菜飯と田楽
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娘と孫が新年会で家人が胃の調子がわるいと優しい食事を・・・・・・と。

豊川

青春18きっぷが一枚残っていたので午後から豊川へ行ってきました。

豊川稲荷
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帰りに飯田線一つ豊橋寄りの牛久保駅で降り

今川義元の墓所
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桶狭間で敗れた義元の首のない胴体を家臣が背負いこの地まで逃れこの寺に葬った・・・・・・とありました。

山本勘助ゆかりの地
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引用ーー>
山本勘助は、明応9(1500)年8月15日八名郡賀茂村(現豊橋市賀茂町)に山本藤七郎の三男として生まれ、幼名は源助と名乗っていました。
勘助は15 才で牛窪(現豊川市牛久保町)の牧野家家臣大林勘左衛門貞次の養子となり、名を大林勘助貞幸と改め、26才で武者修行のために諸国(近畿、山陰、山陽、四 国、九州)へ出立するまでの若く多感な時期を、この牛久保の地で過しました。
勘助が諸国を歴遊し武名を高め、35才の冬に大林家に帰還したところ、勘左衛 門に実子が生まれていたため、養子縁組を解き、再び山本性に戻りました。
その後、関東の地を歴遊し、45才で甲斐の国(現山梨県)の武田信玄に仕え、幾多 の戦いで名軍師と謳われましたが、永禄4(1561)年9月10日、川中島の合戦で討死しました。
勘助の容貌は目と足が不自由で、指も満足になく色黒で大変な醜男といわれている。
<--引用終わり

を回ってきました。
勘助の墓もすこし離れたお寺にあったようですが遅くなり見逃しました。

2017.01.05


夜明け前
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その日最初のストップでの一回限りの孵化装置配布が終わり、やたら歩き回らなければならないというシングルタスク状況(無限孵化装置でやりくりしなければならない)です。

にもかかわらず寒さに負けて距離は伸びません。

福袋

記憶にありませんのでおそらく人生初の福袋を買いました。

サンマルクカフェ
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ドリンクチケット5枚にチョコクロアッサン5個でお得感ありでした。


2日浜松に行った時に懐かしくなり
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浜松駅にもあるんだ~と舟和の芋ようかん、無論わさび漬けもですが買いました。

舟和の芋ようかん東京出張の時の定番のお土産でした。

2017.01.02

青春18きっぷで浜松へ行ってきました。

浜松城へ(三方ヶ原の戦いの真相に迫るわけでありません)
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富士山が見えました
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井伊直虎ゆかりの地でもり上がってました。
入店にならんで昼食
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を食べましたが      うなぎ弁当に「家康」「直虎」がありました。

2017.01.01


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今年もよろしくお願いいたします。


日が昇りました
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プロフィール

今昔田舎亭

Author:今昔田舎亭

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