11月30日(水)

11月も今日で終わりです。
今日は私の医者行きでしが、その後、例のチケットの調達に「おりなす八女」に向かいました。

おりなす八女の道向かいの公園
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パンフレット裏とチケット
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阪神間モダニズムの校舎が
ピアノはおりなす八女のということでした。
今年出来た市民会館で大小(792人、252人)のホールがあるそうで、ベーゼンドルファーは
八女ベーゼンドルファー音楽祭プロジェクト<--クリックで飛びます。 のようです。
バルビゾンの道ではありませんが、この方面は市民の意識でしょうがなんか充実している気がします。
別府のアルゲリッチ音楽祭みたいになっていけばうれしいですね。


脈略もなんもなく
炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。

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11月29日(火)

医者へ行きましたが、この際と、私もインフルエンザの予防接種を受けました。
しばらくじっとしていて下さい・・・・。

この際と、こんにゃくを入手しに行きましたが、

こんなものを発見しました
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まず気になったのは、ベーゼンドルファーとスタインウェイで、それから神戸女学院でした。

神戸女学院 Wikipediaによると
近隣の関西学院大学や聖和大学(現・関西学院大学教育学部)と同じウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるスパニッシュ・ミッション・スタイル(南地中海様式)の優美な校舎は、淡いクリーム色の外壁と赤銅色の瓦が特徴的。また、国土交通省近畿地方整備局は神戸女学院大学キャンパスを阪神間モダニズムにおけるヴォーリス設計事務所代表作として紹介している。講堂・総務館・チャペル、図書館、文学館、理学館、音楽学部一号館は国の登録有形文化財に登録されている。
演奏会パンフレットの裏には阪神間モダニズムの校舎の写真が載っています。

I さんにメールし演奏会に行くことにしました。
当然フルコンサートでしょうが I さん曰く「そぎゃんとん八女のどけあっとじゃろか?」と・・・・バルビゾンの道があるくらい八女は素晴らしいとこのはずなんですが、はて。


紅葉他
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帰り着いたら入道雲?が
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暑かったはずです。


どうでも良い話
昨晩、ソフトの更新中にACアダプターを使っているにも拘らず、ACアダプターを使えとメッセージが出てノートの充電が出来ず途方にくれてしまいましたが、ACアダプターをコンセントからはずし数分放置、その後充電が出来るようになり事なきをえました。
ACアダプターをコンセントに繋ぎっぱなしで放置すると、ACのノイズかなにかで保護回路が働きACアダプターが機能しなくなる事があるようです。
とにかく結構電源が汚れているという事ですね。

11月28日(月)

朝は10℃昼は20℃と異様な暖かさでした。

「くまモン」大阪府知事、市長選結果に匹敵かそれ以上の盛り上がりでした。

21日紅葉
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11月27日(日)

ミカンの調達にオレンジロード(玉名広域農道)へ

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くまモンが一番になったようで
とりあえず
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ヌーボーは区切りとして
セレクション上永野は超特別な日に
シャルドネ樽熟成は特別な日に
普段はディスカウントストアの数百円で

11月26日(土)

市のメルマガを講読していますが、

臨時号で
【くらしの情報】
山鹿市鹿本総合支所市民生活課及び地域包括支援センターからお知らせ
○11月27日(日)午前9:30から、来民6区しいの木の里を拠点に、徘徊者捜索声かけ模擬訓練を実施します。
徘徊役の方が来民商店街を歩きまわりますので、見かけたら安心できるような声かけをお願いします。
へぇ~
「徘徊者捜索声かけ」というのがあるんですねえ、確かに年間何度か捜索願いの緊急放送があるのですが、講習会などあれば聞いてみたい気もします。


昨日の肥後民家村
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11月25日(金)

今年、カレーはセブンイレブン、パスタはファミリーマートと私なりの結論を導きだしました。

荷物の発送後和水町方面に出向きました。
和水のファミリーマートです。

ということは遅い昼食は肥後民家村で
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となりました。

肥後民家村の紅葉
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そして突然の遭遇
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死んだふりはしませんでしたが

「↓の件どぎゃんでしたか?」

引用ーー>
17日(木)より一部のキャラクターに対して自動的に大量投票ができるシステムを集団で利用した投票がおこなわれていました。
今回、投票方法を「なるべく簡単に多くの方に投票してもらう為」メールアドレスのみで投票できる方法を取り、基本的に複数アドレスでの投票はキャラクターを応援する強い想いの表れだとして容認できる範囲であれば認めてまいりましたが、今回の事態は「容認できる範囲」を超えており、取り急ぎの対応として、本日このシステムを利用していると思われるフリーメールドメインからの投票を受け付けない対応をとりました。
Yahooメールやgmailなどのフリーメールを使って、正規の方法で投票して頂いた方には大変申し訳ありませんが、対応が決定するまでの間投票ができなくなります。
... また、今後yahooメールやgmail以外のフリーメールについても同様の措置をとる場合がありますのでご容赦ください。
今後、投票数を分析し「明らかに度を過ぎている」投票数については無効にすることも含め、早急に対応策を検討いたします。

最後までタウンページ協賛ゆるキャラ(R)グランプリ2011をお楽しみいただけるように努力してまいります。
現在、gmail等のフリーのメールアドレスを利用して、コンピューターで機械的に大量投票するケースが増えております。
緊急の措置として明らかに「度が過ぎている」17日から21日までの機械的な投票285,335票を無効にする措置をとりました。
また日付を遡って同様の投票についても調査し、該当する票についても順次無効にする予定ですので、順位の大幅な変動があるかもしれませんがご容赦ください。
お気に入りのキャラクターに楽しみながら投票していただいている方々のためにも節度ある投票をお願いいたします。

先ほど、お知らせさせていただいた、285,335票に加え5,336票を無効とさせていただきました。なお、日付を遡っての調査を実施中です。その内容は、フェースブックで順次告知させていただきます。

本日、追加で無効票の措置をさせていただきました。
これにより、複数のキャラクターの順位に変動がございます。
該当するキャラクターに関しては、それぞれの運営母体に説明の上、
減票措置をとらせていただきました。
一人ひとりが、気に入ったキャラクターを応援するために、
複数のメアドで、自分自身で端末を一回づつ操作しながら投票することは有効としております。一方、無効とさせていただいた基準は以下の通りです。
●一分間に数百以上の新規投票を、類似のメールアドレスで、一括メール送信のプログラム等を使って送信してくる投票。
●メールアドレスごとに割り当てられる投票用のURLに対し、自動的に投票できるプログラム等を使って機械的に大量送信している投票。およびそのために利用されたアドレスによる投票。
これらをサーバーのログを解析して無効票として判断しております。

<--引用終わり

「訂正されてほっとしてます」・・・・でした。

よくニュースなどでしょうもない事を聞くしょうもない奴がいますが、しょうもない事を聞いてしまいました。突然の遭遇でしかも初老の一般人ですから御勘弁を・・・・。

このところ家人とともに、年だからとか、加齢のせいでとか言い訳ができると大変喜んでいます(USO)。
老人力全開

そんな訳(偶然にブラブラしているくまモンに遭遇した)で11月26日が締め切りです、投票がお済でない方は是非お気に入りのユルキャラに・・・・ゆるキャラグランプリで投票を!

11月24日(木)

一昨日は車の外気温表示が3.0℃でバイト先に着くと0.5℃とギョエーでした(4℃以下で凍結警報音がしたはずです)。

バイトから戻り定例の医者に行きましが、

病院で
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なんのことはない影ですね。

11月23日(水)

昨晩某氏の還暦祝いにて。

祝いの膳の後
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近頃のカメラは夜でもなんとか写るようです。


12月の「アサヒカメラ」に鉄道写真の悦楽という特集で、グラビアTOPに中井精也さんのChristmas Trainが・・・・。
その中井さん現在、片道切符の旅をされているようです。

引用ーー>
稚内発、枕崎行き。
有効期間35日。
僕の夢への
片道切符です。
稚内→(宗谷本線)→新旭川→(石北本線)→網走→(釧網本線)→東釧路→(根室本線)→富良野→(富良野線)→旭川→(函館本線)→沼ノ端→(千歳線)→白石→(函館本線)→森→(鹿部経由)→七飯→五稜郭→(江差線)→木古内→(津軽海峡線)→中小国→(津軽線)→青森→(奥羽本線)→川部→(五能線)→東能代→(奥羽本線)→秋田→(羽越本線)→余目→(陸羽西線)→新庄→(陸羽東線)→小牛田→(東北本線)→仙台→(仙山線)→羽前千歳→(奥羽本線)→米沢→(米坂線)→坂町→(羽越本線)→新発田→(白新線)→新潟→(信越本線)→新津→(磐越西線)→郡山→(東北本線)→安積永盛→(水郡線)→水戸→(常磐線)→我孫子→(成田線)→松岸→(総武本線)→成東→(東金線)→大網→(外房線)→安房鴨川→(内房線)→蘇我→(外房線)→千葉→(総武本線)→→西船橋→(武蔵野線)→南浦和→(東北本線)→大宮→(高崎線)→高崎→(上越線)→越後川口→(飯山線)→豊野→(信越本線)→直江津→(北陸本線)→糸魚川→(大糸線)→松本→(篠ノ井線)→塩尻→(中央本線みどり湖経由)→岡谷→(中央本線)→辰野→(飯田線)→豊橋→(東海道本線)→金山→(中央本線)→多治見→(太多線)→美濃太田→(高山本線)→富山→(北陸本線)→敦賀→(小浜線)→綾部→(山陰本線)→京都→草津→(草津線)→柘植→(関西本線)→木津→(片町線)→京橋→(東西線)→尼崎→(福知山線)→谷川→(加古川線)→加古川→(山陽本線)→姫路→(播但線)→和田山→(山陰本線)→鳥取→(因美線)→東津山→(姫新線)→新見→(伯備線)→伯耆大山→(山陰本線)→宍道→(木次線)→備後落合→(芸備線)→三次→(三江線)→江津→(山陰本線)→益田→(山口線)→新山口→(宇部線)→居能→(小野田線)→小野田→(山陽本線)→厚狭→(美祢線)→長門市→(山陰本線)→幡生→(山陽本線)→門司→(鹿児島本線)→折尾→(筑豊本線)→桂川→(篠栗線)→吉塚→(鹿児島本線)→久留米→(久大本線)→夜明→(日田彦山線)→城野→(日豊本線)→大分→(豊肥本線)→熊本→(鹿児島本線)→八代→(肥薩線)→隼人→(日豊本線)→鹿児島中央→(指宿枕崎線)→枕崎

<--引用終わり 一日一鉄より


最長片道切符の旅 私の夢の一つです。
最長の引用ーー>
概要 あらゆる鉄道事業者(均一運賃制を採用しているものを除く)ごとに最長片道切符が存在するが、日本では一般的には旧国鉄路線を引き継ぎ、各社の乗車キロを通算して運賃を計算するJRグループの最長片道切符を指す。そもそもは、国鉄(現JR)の運賃制度の遠距離逓減制(現在では、300kmと600kmの二段階で、特に600kmを超えると超えた距離にかかる賃率(1km当たりの運賃)がそれまでの約半分になる)を利用して、全区間の賃率が最も安い切符を作ろうということだったといわれる。
なお、経路特定区間などの関係で、運賃計算経路の最長と実乗車経路の最長が異なる場合があり、後者を、「最長片道ルート」と呼ぶことがある。
国鉄・JRにおける最長片道切符 最長片道切符の定義 JRグループの旅客営業規則(以下「旅規」と呼称)は、片道乗車券の発売要件を以下のように定めている。
第26条:片道乗車券は、普通旅客運賃計算経路の連続した区間を片道1回乗車船(以下「片道乗車」という。)する場合に発売する。ただし、第68条第4項の規定により鉄道の営業キロ、擬制キロ又は運賃計算キロを打ち切って計算する場合は、当該打切りとなる駅までの区間のものに限り発売する。
第68条第4項第1号および第2号は、
鉄道・航路を通じた計算経路が環状線1周となる場合は、環状線1周となる駅の前後の区間の鉄道の営業キロ、擬制キロ又は運賃計算キロを打ち切って計算する。
鉄道・航路を通じた計算経路の一部若しくは全部が復乗となる場合は、折返しとなる駅の前後の区間の鉄道の営業キロ、擬制キロ又は運賃計算キロを打ち切って計算する。
したがって、JRグループにおける「最長片道切符」は、
環状線一周を超えない
途中で折り返さない
という2つの条件を満たす任意の駅間・経路に対して発売される片道乗車券のうち、発駅から着駅までの距離が最も長いものを指す。「距離」として営業キロを採用するか運賃計算キロを採用するかは意見が分かれており、このどちらを採用するのかによって経路が変わることがある。
最長片道切符の「亜種」最長片道切符の「亜種」として、
最長往復(割引)切符(往復での最長切符。ほぼ間違いなく601キロ以上になるので、自ずと往復割引となる。経路の探索(後述)は、通常の最長片道切符には、いわゆる「2」の字型と「6」の字型があるが、
「2」の字型の場合…そのまま往復で、最長往復(割引)切符になる。
「6」の字型の場合…そのまま往復しようとすると、復路が一周でぶつかってそこで打ち切られて片道切符にならないので、そのままでは往復(割引)切符にできない。そこで、「6」の字型の一周となる駅から、一周に含まれるその駅の隣の駅までのうち、どちらか短い方の1駅間を削ると、「2」の字型になり、それの往復で往復(割引)切符になる。ところが、その1駅間削った間に別の「2」の字型のルート(これにも別の「6」の字型の1駅削った場合と、元々「2」の字型の場合がある。)が割り込んでくる可能性があり、その場合はそちらのルートの往復が最長往復(割引)切符になる。従って、第二位以下のルートを正確に求めたり、分岐駅の隣の駅をデータに入れて探索を行う等の工夫が必要。)
一周最長片道切符(発駅に戻る中での最長…切符を購入する際に、ルート上の任意の駅を発駅(=着駅)にできると長年考えられていたが、近年、経路特定区間をルート上に含む場合は、その(複数含む場合は、「各々の長い経路と短い経路のキロ程の差」が最大となる経路特定区間の)長い側の経路内の両端駅を含まない任意の駅発着に限られるということが発見された(経路特定区間の影響を受けない。)。また、仁堀航路の廃止以降は、必然的に本州内となる。が、盲腸線を含めないため、次項「本州内最長片道切符」より長くなることはない。経路の探索(後述)の難易度は、通常の最長片道切符とほぼ同等。また、そのまま往復で往復(割引)切符になる(一周最長往復(割引)切符)。)
本州内最長片道切符(利用できる路線を本州内に限定。発駅、着駅となりうる駅が、盲腸線の終着駅を含む本州全体に広がるため、経路の探索(後述)の難易度が、青森から下関に通り抜けるだけにほぼ等しい通常の最長片道切符に比べて、より上がる。2007年にNHKBShi等で放送された関口知宏の中国鉄道大紀行 ~最長片道ルート36000kmをゆく~の経路の探索は、これの発展形。また、往復(本州内最長往復(割引)切符)時の考え方は、上記「最長往復(割引)切符」と同様。)
等も存在する。
最長片道切符旅行 国鉄・JRの最長片道切符による旅行は、日本国内の鉄道網を極限まで活用することから、究極の鉄道旅行とされ、熱心な鉄道ファンの間で古くから行われてきた。
東京大学旅行研究会(1961年) [編集]知られている限り最初に国鉄の最長片道切符旅行を試みたのは、東京大学旅行研究会の会員4名である。これは、同会会員の1人が「一番長い距離を最短時間で移動するとどれだけ掛かるのか?」と発言したことがきっかけであり、その計算をした結果が最長片道切符の誕生に繋がった。これらはNHKの2004年5月5日に放送された、『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』出発前のプレ番組で、この時の旅人の1人である鷲尾悦也(後の日本労働組合総連合会会長)が証言している。
国鉄でもこの切符を発行してよいかが本社レベルで話し合われ、検討会が何度も行われたと言われている。前例のない乗車券であったことが伺える。
実際の旅程は1961年7月、鹿児島県の古江線海潟駅(後の大隅線海潟温泉駅。現在廃止)から北海道の広尾線広尾駅(現在廃止)に至る12,145.3キロを、25日間で旅行した。その旅行記は『世界の旅10、日本の発見』(中央公論社、1962年)に収録されている。なお、この旅行記の担当編集者が次項の宮脇俊三である。
ただ、近年この旅程に関し一部鉄道ファンの間で再検討が行われた結果、同旅行の時点で彼らが取ったルートよりも実乗車経路・運賃計算経路が共に長くなるルートが存在したことが判明しており、厳密に言えばこの旅行は「最長片道切符旅行」とは呼べないとの指摘がされている。
以来、鉄道ファンの間では散発的に同種の試みが行われるようになった。
なお、厳密な意味での最長片道切符旅行は、1973年に当時横浜市立大学医学部の学生だった光畑茂が行った可能性があるが(ただしこの時のルートは「新幹線抜きの最長ルート」であったという)、これについてはルート等の詳細がメディア上で発表されていないため検証ができず、メディア等で検証可能なものとしては次項で述べる宮脇のものが最初であるとされる。
宮脇俊三『最長片道切符の旅』(1978年) [編集]紀行作家の宮脇俊三は、1978年10月から12月にかけ、広尾線広尾駅から指宿枕崎線枕崎駅に至る運賃計算キロ13,267.2キロの旅行を行ない、その過程を『最長片道切符の旅』(新潮社、1979年)に記した。この著作は、鉄道ファン以外の一般の人々にもこの切符の存在を知らしめるきっかけとなった。
この際に宮脇は、当時種村直樹が著した『鉄道旅行術』という書籍に掲載されていた光畑茂の計算によるルートを基に旅行することにした。ところが『鉄道旅行術』の刊行後に武蔵野線が開通していたことから、宮脇はルートへの影響の有無を相談に種村直樹の下を訪ね、そこで光畑茂による新たなルートの計算結果を見せられたという(『最長片道切符の旅』の記述による)。
種村直樹『さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅』 [編集]竹下町駅(自動車線嬉野線) - 鵡川駅(日高本線・富内線)
鉄道趣味誌『鉄道ジャーナル』の1985年10月号より連載された企画。宮脇までは鉄道および国鉄連絡船のみで達成された片道切符であるが、種村直樹の場合は、国鉄自動車線も組み込んだ一筆書きによる最長片道切符を使用した点が特徴である。
この旅行が実施された当時、複数の自動車線を組み込んだ場合の乗車券有効日数に関する取り決めが無く、国鉄全体を巻き込む議論となったが、最終的にこの旅行においては自動車線1路線あたり1日を加算する運用規則が通達で定められた。このときの議論はその後も国鉄内部で続き、最終的に何度組み込んでも加算日数は1日のみとする規定に改められ、JRに引き継がれている。
種村のこの旅行以外で自動車線を含む一筆書き旅行が行われたことはないため、このとき種村が使用した片道切符は名実共に史上に残る日本一最長の片道切符である。自動車線の廃止が相次いだことや、自動車線が分離され子会社となったことにより、連絡運輸廃止または連絡運輸は1回に限るという規則になった現在では、この切符による旅行を上回る旅行自体ができないため、この記録は将来にわたって破られることはない。
しかし、実際の旅行距離は、日本最長であることは間違いないが、種村の仕事の都合や乗り間違い、発売後に多数の自動車線が廃止されたことから発売距離よりもかなり短くなっている。また、ルート作成段階で、一大盲腸線状態の筑肥線の存在を見落とす、というミスを冒していた事が読者の指摘で判明している(しかも、この筑肥線を利用したルートの場合、最長片道きっぷの起点は竹下町駅ではなく姪浜駅になる)。
なお、これには上記順路のメインルートのほか、宇高連絡船しか接続ルートが無いため完全取りこぼしとなってしまう四国についても、エリアが完全に収まる四国ワイド周遊券(四国均一周遊券、現在は廃止)を利用した四国内最長片道となるオプショナルツアーが実施されている。
雑誌「旅と鉄道」による企画(1996年) [編集]鉄道ジャーナル社の雑誌「旅と鉄道」が企画し、伊藤丈志が実際に旅行を行った記事が「稚内発肥前山口ゆき11,540km完全踏破」という題名で同誌の1997年冬増刊として刊行された。
伊藤は1996年9月13日から10月7日まで途中東京での2日間の休養を除き24日間を掛けてゴールしており、途中の乗車列車や食事等の克明な記録が写真入りで紹介されている。
途中台風の被害で房総半島の勝浦駅-大貫駅間で列車が運休したことにより、当該区間を後日乗車せざるをえなかったため、厳密な意味では24日間での完全踏破ではなかったが、文献として記録された貴重な例である。
NHK『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』(2004年) [編集]NHKが、2004年5月6日より6月23日までNHK BShiで放映したテレビ番組。俳優関口知宏が旅人となって宗谷本線稚内駅から長崎本線肥前山口駅まで旅行を行い、この模様を放送した。詳しくは列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜を参照のこと。
総延長距離の推移 [編集]東京大学旅行研究会が最長片道切符旅行を試みた1961年以降、国鉄・JRの路線網には、路線の開業および廃止が相次ぎ、最長片道切符の経路および総延長距離も刻々変化することになった。1960年代 - 1970年代には、新幹線をはじめとする新線開業が相次ぎ、総延長距離が増加した。この時期にも多くの赤字路線が廃止されたが、そのほとんどがいわゆる盲腸線であり、最長片道切符の経路に変更を及ぼすものではなかった。
最長片道切符の総延長距離がピークに達したのは、1982年6月23日の東北新幹線(大宮・盛岡間)開業から、同年6月30日の仁堀航路廃止までの期間で、12782.3kmである。仁堀航路の廃止に伴い、本州と四国を結ぶ経路が宇高航路だけになり、四国が最長片道切符の経路から外れたため、総延長距離は大幅に短縮された。
1981年3月の国鉄経営再建促進特別措置法の施行により、その後特定地方交通線に指定された路線が相次いで廃止または第三セクター鉄道に転換された。廃止・転換路線は、地方の盲腸線だけでなく、とくに北海道を中心として、名寄本線など環状ルートを構成する幹線系にも及び、最長片道切符の総延長距離はさらに短縮された。近年は新幹線開業に伴う並行在来線の廃止・第三セクター化が新たに影響を及ぼしている。
経路の探索 [編集]古い時代に行われた最長片道切符旅行の行程は、手計算で立案したルート構成を総当たり的に検討した結果得られたものであり、実際の算出作業は非常な困難を極めた。
1961年の東大旅行研究会のルート探索では、全国を地域ブロックに分割し、メンバーが各ブロックごとの最長ルートを求め、これを合算するという手法がとられた。北海道と九州は、青森と下関を通る単一ルートに限られるため本州から切り離して計算できたが、本州についても列島方向に走る鉄道線が少ない地域で切断し、4ブロックに分割して計算している。しかし彼らの探索したルートは東京都内において、旅規第70条に定める特定区間の扱いに見落としがあり、実際には最長ルートではなかったことが前述の通り後に判明している。
1970年代中期以降は、光畑茂の手計算による最長片道ルートが種村直樹の著書などを介して定期的に改訂版で発表され、愛好者の間で広く利用されていた。宮脇俊三も『最長片道切符の旅』の中で、自力でも手探りで経路を確定させようとする様子を綴っているが、最終的には光畑ルートを利用することになった。この光畑ルートは近年の研究において、間違いない最長片道ルートであったことが数学的に証明されている。
1980年代以降は、コンピュータを利用した数的解析を用いて最長行程を算出する試みが始まっている。古くは1970年代に報告[5]がある。当初は、ブロック分けによる総当り法が主流だったが、数的解析の一例として、2000年当時東京大学大学院生であった葛西隆也は、整数計画法という数学的に厳密な方法で最長切符の経路(稚内→肥前山口、11,925.9キロ)を求めた。(このルートは、肥前山口側で環状線を形成しており、前述のルールの「環状線一周を超えない」に抵触するため、逆経路は不可となっている。)そして同年夏に、友人たちの費用寄付によって実際にこの経路を旅行した。その経路の探索過程と旅行記は、ウェブページに掲載されている。なお、2004年のNHKの番組もルート計算はこの方法を使用し、九州新幹線開業後に改めてルート計算を東大に依頼したうえで放送された。
なお、このコンピュータを利用した経路の探索は、近年のハードウェア技術の進歩により、年々容易になっている。
新下関駅 - 博多駅間の特例 現在JR各社間で統一されていない旅規の解釈上の問題があり、これによってJRの最長片道切符の経路と総延長距離が大きく変わる。新下関駅~博多駅間で新幹線と在来線の双方を経由するルートが認められるかという問題である。
1996年1月のJR北海道・四国・九州のいわゆる三島会社の運賃制度改訂により新下関・博多間は幹在別線となったが、旅規第16条の3で「第26条の普通乗車券の発売」と「第68条第4項の旅客運賃計算上の営業キロ等の計算方」については、幹在同一路線として取扱うと規定した。したがって、新下関、小倉、博多の各駅で新幹線から在来線に折り返す場合はキロの通算が打ち切られ、当該打切り駅までしか片道乗車券は発売されず、この区間で新幹線と在来線の双方に乗車することができない。
従来どおり幹在同一路線として扱うためには、前述した旅規第68条第4項第1号および第2号(環状線一周、折り返しによる打ち切り)で十分であったが、このとき第3号として次の規定が加えられ、問題が複雑になった。

(3) 新下関・博多間の新幹線の一部又は全部と同区間の山陽本線及び鹿児島本線の一部又は全部とを相互に直接乗り継ぐ場合は、次により計算する。
ア 山陽本線中新下関・門司間及び鹿児島本線中門司・小倉間の一部又は全部(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)と山陽本線(新幹線)中新下関・小倉間(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)とを新下関又は小倉で相互に直接乗り継ぐ場合は、新下関又は小倉で鉄道の営業キロ又は運賃計算キロを打ち切つて計算する。
イ 鹿児島本線中小倉・博多間の一部又は全部(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む)と鹿児島本線(新幹線)中小倉・博多間(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む)とを小倉又は博多で相互に直接乗り継ぐ場合、小倉又は博多で鉄道の営業キロ又は運賃計算キロを打ち切つて計算する。
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これにより、「新下関 - 小倉間の新幹線と在来線を新下関駅または小倉駅で直接乗り継ぐとき、あるいは小倉~博多間の新幹線と在来線を小倉駅または博多駅で直接乗り継ぐときは、乗継駅(新下関駅、小倉駅、博多駅)で営業キロ又は運賃計算キロを打ち切る。」という規則となったわけであるが、「直接乗り継がないときは、(第68条第4項第1号または第2号の規定にかかわらず)乗継駅で営業キロ又は運賃計算キロを打ちきらずに、片道乗車券として発券できる」という解釈の余地を生み出したのである。
ここで、「直接乗り継ぐ」の解釈には、以下に示す旅客営業取扱基準規程第43条の2の規定が関連している。
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(前略) 南小倉以遠(城野方面)の各駅と博多以遠(竹下方面)の各駅相互間、柚須以遠(原町方面)の各駅と小倉以遠(門司方面)の各駅相互間又は南小倉以遠(城野方面)の各駅と柚須以遠(原町方面)の各駅相互間を乗車する旅客が、新幹線(小倉・博多間)に乗車する場合は、西小倉・小倉間又は吉塚・博多間において途中下車しない限り、当該区間の営業キロを除いた片道乗車券又は往復乗車券を発売する。
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この条項は、1996年1月改訂で幹在同一線扱いであった小倉・博多間が別線扱いとなったため、それ以前から存在していた西小倉・小倉間及び吉塚・博多間の「分岐点通過列車に対する区間外乗車の規定」の趣旨を引き継いだものである。
前述の葛西隆也のケースでは、「小倉(新幹線)博多(鹿児島線)吉塚(篠栗線・香椎線)香椎(鹿児島線)西小倉(日豊線)」という経路による片道乗車券が発売された。博多で新幹線と在来線を「博多駅で直接乗り継いでいない=博多~吉塚間は分岐点通過列車に対する区間外乗車である」とみなされたようである。 しかし、この区間を葛西の伴走者は、「博多駅での直接乗り継ぎであり、乗継駅(博多駅)でキロ数の通算を打ち切る」という解釈がなされたようで、その乗車経路が葛西の最長片道切符の経路内であったにもかかわらず、片道乗車券として発券されず、連続乗車券を購入せざるをえなかったという。 このように、旅規第68条第4項第3号の解釈はJR各社間で統一されていない。
その他の注意点 このほか、横須賀線・湘南新宿ライン系統の列車が利用する、品川駅~新川崎駅経由 - 横浜駅の経路である東海道本線の支線・品鶴線のルートもいささか面倒である。ルート上南武線で立川駅から川崎駅方面に向かう際、時刻表の地図上では川崎駅に入らず尻手駅 - (南武線支線) - 浜川崎駅 - (鶴見線) - 鶴見駅 - (京浜東北線) - 品川駅 - (品鶴線) - 横浜駅のルートが可能なように見える時期があった。すなわち品鶴線経由の列車はすべて鶴見駅を通過するため、図では鶴見駅を通っていないように書かれていた。しかし品鶴線は実際は鶴見駅起点になっており運賃計算上もそう扱われるため、この浜川崎経由だと鶴見駅を2度通ることになり、そこで終了となってしまう。なお、JTBパブリッシング発行『JTB時刻表』2007年10月号10ページ、16ページでは品鶴線は鶴見駅より品川よりで東海道本線に合流するように描かれており、このような誤解は発生しないようになっている。
よって、実際にテレビでも放送された川崎駅 - (東海道本線) - 品川駅 - (品鶴線) - 横浜駅が正解となる。
なお、2010年3月13日に品鶴線上に武蔵小杉駅が開業したため、現在の立川駅 - 横浜駅間の最長ルートは以下の通りになる。
立川駅 - (南武線) - 武蔵小杉駅 - (品鶴線) - 品川駅 - (東海道本線) - 川崎駅 - (南武線) - 尻手駅 - (南武線支線) - 浜川崎駅 - (鶴見線) - 鶴見駅 - (京浜東北線) - 横浜駅
JRバスについて 最長片道切符の旅ではあまり検討されないが、昨今ではかなり縮小されたものの、かつてJRの乗車券制度では多くのJRバスを乗車券経路に組み込むことが出来た。
現在では全ての旅客鉄道会社が旅客自動車運送事業を分離し、子会社化しているので、鉄道とは連絡運輸の関係となり組み込み自体が連絡運輸の縮小ということでほとんど最長片道切符の経路に組み込むこと自体が不可能となっている。
日本国有鉄道時代には国鉄経営のバス路線であれば鉄道線と自動車線の跨りは有効日数を1日プラスするという規定はあったがその解釈にははっきりした取り決めがなく、前述の種村直樹の片道切符作成時に国鉄としての見解が示され、1回組み込むごとに有効日数を1日延ばすこととなった。現在はこの見解が改訂され、何度組み込まれても1日プラスということになっている。
通過連絡運輸について こちらも最長片道切符の旅ではあまり検討されないがJRと全国数箇所の第三セクター鉄道はJR線全線全駅との通過連絡運輸を締結している。この為JRのみの最長ルートよりも長い距離での旅行が可能である。但し、通過連絡運輸を適用可能とする場合は2社以上通過しても良いかの見解はJR各社で別れる。一周型最長片道切符の場合は発着駅限定の通過連絡運輸があるので経路特定区間の影響を受けるルートで購入したほうが現在は長くなる。
また、通常の最長片道切符では出来ないが、本州内最長片道切符や、九州内最長片道切符は連絡運輸を締結している事業者を使用することが出来る。この場合連絡運輸締結事業者を使用出来るのは2社までとなるが大多数の場合は1社のみしか適用できない。
メディア NHKBSチャンネル 『列島縦断 鉄道12000キロの旅 〜最長片道切符でゆく42日〜』(なお、この番組では、最長切符の経路に含まれない四国も経由する。)

<--引用終わり Wikpediaより

モー引用すら大変です。
最長片道切符ルートの変遷<--クリックで飛びます。

最長の引用となりました。

11月22日(火)

昨日の事

菊池水源~マゼノミステリーロード~小国(スーパー・フレイン)
のお値打ちな気がする弁当
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を母親と共に坂本善三美術館の駐車場で食べていましたとことろ・・・・

~!!なんたる偶然
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http://ryuu.livedoor.biz/さんではありませんか。

帰ろうとすると
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風車は回りましたが、ヘリコプターは止まりました(突然のことで意識していませんでした)。

驚くことに極めてまれなことが重なった日でした。

11月21日(月)

病院の帰りに、たまには外に出なければと気になってた紅葉を見に行きました。

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今年はだめかと思ってましたが、この寒さで少しはなんとか秋でした。

11月20日(日)

天気に恵まれ物産館祭りつつがなく終わりました。

そのひとこま
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そのふたこま
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そのみこま
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とどめの
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順不同につき

11月18日(金)

雨の中祭りのテント他を運びましたが、準備には雨でも本番(20日)に降らなければなによりです。
鹿北祭り(19日、20日)は19日は体育館に変更となったようでが、今年の秋のイベント日(週末)はことごとく雨になることが多いです。やたら寒いよりいいぞと考えるほかありません。
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引用開始ーー>
B級グルメ
B級グルメ(ビーきゅうグルメ)とは、贅沢でなく、安価で日常的に食される庶民的な飲食物のことである。外食以外に、家庭料理に該当する場合もある。
概要
フリーライターの田沢竜次が雑誌『angle』に連載した内容をもとに、1985年に『東京グルメ通信 B級グルメの逆襲』(主婦と生活社)が刊行され、また1986年から文春文庫ビジュアル版において田沢もメインライターとして参加した『B級グルメ』シリーズが刊行された事から、「B級グルメ」という用語と概念は広がってきている。また、1999年頃、雑誌『文藝春秋』(文藝春秋)の元編集者里見真三が、女性誌に書いてあった「この料理1万円はお安いわ」という一文に立腹し、「そこいらへんにある普通の食い物を楽しく賞味しよう」とB級グルメをさらに提唱した。
外食の一種であるが、相対的な評価であって、個人によって異なる。いわゆるご当地グルメにはB級グルメが多い。これは郷土料理とは違って農山漁村とのつながりが薄く歴史も浅いため、売り出しが容易な町おこしの材料として「ご当地グルメ」が用いられ、その点では農山漁村の郷土料理百選と由来を異にする。
そのようなB級グルメを利用した地域おこしは各地で行われており、そのような活動をしている団体が各地のB級グルメを持ち寄ってグランプリを競ったB-1グランプリと呼ばれる大会がある。
2006年に青森県八戸市で第1回が開催され、毎年1回行われるようになった。しかし、B-1グランプリに出場するのは特定団体の加盟団体に限定され、その加盟団体も多くは「地域おこし」を標榜しながら、実は飲食店など「業界おこし」にすぎないと「地域おこし」専門家の指摘もある。
さらに、B-1グランプリの知名度が上昇するのに比例して、2008年頃からはグランプリに出場するためにご当地B級グルメを創作する傾向も見られている。特にご当地焼きそば、ご当地カレーは乱立しており、単に「その地域特産の食材」を無理やり詰め込んでできたメニューでご当地グルメを名乗る安易な発想には批判も強い 

<--引用終わり


このところ食事を作るにあたり丼物とかカレーとか麺類の効率性と満足度に着目していますが

こんなのやっているんですね
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ということは
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が380円です。
一人・二人では、作ることのコスト(原材料+水道・光熱費+時間)を思うとはて・・・・でもいつから始終外では

でこんなのを
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発注し、ますまコストアップに・・・・でも丼物とかカレーとか麺類の優位性は私の中では揺るぎません。

今晩は今までももっとも出現度数の多い親子丼を子が制作する予定です。

11月17日(木)

たまに無性にラーメンがぁ~

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IMG52436-s.jpgこってりで加齢とともに気を引き締めて取り組む必用があると感じざるを得ないという状況判断をしたにも拘らず、スープはかなり頂く結果となり極めて大袈裟に且つ又極端な言い方をすればいわゆる命がけの取り組みとなったしだいでした。

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11月16日(水)

本日、手摺りの取り付けがなされました。

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秋の夜長
時の過ぎ行くままに
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この間 Yさんと「やっぱカサブランカがよかな」と
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11月15日(火)

平年並みに寒くなり炬燵をセットしました。

11月15日ですが2001年11月15日の紅葉です
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禁煙をしてからそこそこ経ちました
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何の意味もありません。

11月14日(月)

チョット用事で出ましたが「天気のよかね」と遠回りをしました。

蛇ヶ谷公園
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紅葉はと思いはじめて行きましたがなん事はありませんでした。

250円の弁当を入手
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公園で食べました。

11月13日(日)

2011くまもと農業フェア&米まつり

日の出
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毎年同じ門構えです
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開門前に準備がほぼ終わり撤退時(私)に

たまたま、夕方バイト先で作業中に「バイクで大観望に行ってきました」とMさんがこられました。
乗鞍スカイラインがマイカー規制になるからということで長野にバイクで行かれたそうで、話がなにかと盛り上がりました。

なにかと再掲(国道299)
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順位 路線名 場所                        標高(m)
 1  292号 群馬県吾妻郡六合村~長野県下高井郡山内町(渋峠) 2,172
☆2  299号 長野県茅野市~南佐久郡八千穂村(麦草峠)     2,120
 3  120号 栃木県日光市~群馬県利根郡片品村(金精峠)    1,840
7mの差はどうでもいいこと?一番だったらもっとシビアなのかも?

ビーナスライン
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乗鞍畳平バスセンター
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引用ーー>
乗鞍岳は中部山岳国立公園の特別保護区に指定されて規制が厳しくなったため、2003年(平成15年)5月15日からは(実質的には無料開放されたと同時に)通年マイカー規制となり、一般車両は走行する事ができなくなった。

1973年(昭和48年)7月1日の開通から償還を終えた2002年(平成14年)10月末までの利用台数は約669万7,700台。最高点の標高はおよそ2,710メートル。終点畳平駐車場の標高は2,702メートル。なお、乗鞍岳畳平地域の公共交通機関の車両が走行する最高地点は乗鞍スカイラインではなく乗鞍エコーラインの長野県・岐阜県県境地点の標高2,716メートル地点であり、ここは日本の公共交通機関車両が到達できる最高地点でもある。

<--引用終わり
温故でした。


昨日から冷蔵庫の中は魚肉ソーセージが一本だけでした。
こりゃいかんと玉子と、それからスーパーに、何でもかんでも美味しそうでハマチより高価な鯖の刺身を買いました。
久しぶりに母親と食事をした気がします。朝は5時半には出てましたのでコンビニ朝食で、昼はまともな時間には食べてなく、夜はなんやかやで・・・・美味しい物、高価な物もそうかもしれませんが、ああだこうだ喋りながら食べるのがさらにご馳走だと思う久々の夕食でした。
無論魚肉ソーセージの本数が増えたのは当然の帰結であります。

11月12日(土)

2011くまもと農業フェア&米まつり

ブレ・ボケ早朝の月
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物産館サイトの様子
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大津中学吹奏楽部演奏
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DOYO組
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伊豆の踊り子
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マイク真木(USO)
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11月11日(金)

2011年11月11日で記念切符が何かと発売されましたが入手には行けませんでした。

母親がまたまた「腰が痛か」と言い出しまして「昨日炬燵でみょうなかっこうで寝とったけんたい」と、昨日病院に行ったのにまた診察に病院へ行きました。そして先だって骨折した骨の近場の骨が折れかかっているとのことで、ようするに可能な限り日常的にコルセットをし用心しときなさいと解釈しましたが、あまり痛いときは痛み止めの服用とあとは固定してじっとしとくしかないのです。しかも動けなくならないように適度な運動はしながらと極めて当たり前のことですがなかなかこれが難しいことです。

病院への道すがら山がいい塩梅で
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私は病院に行く直前になんと唐芋が喉につまり、やっとこさ一命をとりとめました。
このような危険な状況は初めてにも拘らず極めて冷静に、咳は詰まったものを出そうとするし、喉はゴクンゴクンとなんとか飲み込もうとするという間逆の行動を短時間に繰り返してるようで、頭の中でこの状況はどちらで克服すべきかを考えました。結果、咳は意識せず出ていますが、ゴクンは多少自分の意思が働いているようで、この場合これはなんとか飲み込む方に行動した方が妥当ではないかと思い水を飲み事なきを得たというしだいです。
今振り返ると、これは詰まった物の空気密度が関係しているのではないかとすると、餅の場合は外へ出す方がいいのではと結論しました(指で出す)。医学的、物理的になんの根拠もありません。
実のところ、傍から見ると子供が百日咳にかかり咳が出続け息ができずバタバタする様子と同様だったと思います。

全然関係ありませんが、こんにゃくゼリーと餅の社会的扱いの違いにも少し疑問に思いますし、後、自然薯の粘性と年齢と喉のつまり具合などは重要なテーマだと思います。

懐かしく読んでます
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11月10日(木)

雨の和水町肥後民家村

紅葉は
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11月9日(水)

第1回『山鹿うまかもんフェアin福岡』9日~10日

福岡在住の Iさんよりメール添付で状況が届きました
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落葉
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11月8日(火)

落葉

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11月7日(月)

県内一部では夏日とのことで半袖でOKでした。

小国西里のパン屋(そらいろのたね)さんで「今年の紅葉は?」「気温が高いのと雨が多いのでちょっと」と、別なところではライダーの方が「ことしは紅葉する前に葉が落ちてしまっている」といっていたと・・・・。
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確かにコントラストが低いようなボヤーっとしたような、盛り上がりもなくすでに終わったような感じでしょうか。

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明日から冬なのに、秋の感じがしませんね。

11月6日(日)

午前7時お宮に登り掃除を始めたら雨がいちだんと降り始めました。

ラジオで五家荘も寒くならないので色づきはいまいちで今月半ばにはと・・・・病院の帰りに奥山鹿温泉に山の様子を見に行ってみました。

道端から
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雨もそれなりに

35年ぶりに新メンバーも加え再結成されたとか(オリジナルメンバーはドラムス含む右の方三名)
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Yさんにやんごとなき理由で行けないので録音しておいてと頼まれまして、しかし録音は失敗(音はしてます)しましたが・・・・すんません。
写真は35年前のではありませんが、掲載未確認のため赤増しモノクロ変換ノイズ付加の処理をしています。

ピアノは金持ちのお嬢さん、エレキ・ギターは不良・・・・それほど昔。
ビートルズ来日公演放送の日がちょうど試験で、試験が終わりほとんどの生徒がバタバタと慌てて帰宅したのを見て「どうどうと落ち着いて帰ったのはH君だけじゃった!」と言われた先生は突然先日鬼籍に入られました。
その意は今となっては分かりませんが、(先生は俺も早く見たいの意)ではなかったかと思います(逆説)。

11月5日(土)

週末になると雨です。

赤い羽根募金を集めて回りましたが、赤い羽根募金の記憶は街頭で募金(10円)と引き換えに針の付いた赤い羽根を刺してもらっていたような、その後バッジが出て、針がなくなりシールになったのはいっ頃からでしょうか?
ニュースで確か北陸のどこかで鉛筆削り大会があったとやってました。鉛筆を小刀で削らなくなったのはいつごろからでしょうか?
「危ないから」とどんどん触れないようにされてきました。ナイフを持っていると危ない人になりました。駅に音が氾濫しうるさくなりました。自転車も危ないものになってきています。

臭いものに蓋をしたら臭いかどうかわかりません。


11月とは思えない暖かさです。

昨年夏の思い出
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構造物の造形としてトリミング









11月4日(金)

バイト先からの帰りに豆腐を入手しに・・・・空が半焼でした。

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GPS UNIT O-GPS1 PENTAX
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アストロトレーサーという簡易的な天体追尾撮影機能がついていて少し気になっています。

11月3日(木)

398円の充実

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11月2日(水)

免許更新の講習で新免許(IC免許?)の説明があり免許従事者が
 熊本市熊本城1丁目2-3  肥後花子 さんという方でした。

10月30日の続
没後100年 よみがえる神と芸術 青木繁展 図録 青木繁と三人の友ーー坂本繁二郎、蒲原有明、梅野満雄
坂本繁二郎と青木(抄)
坂本繁二郎(1882~1969)は、青木と同じ年に同じ久留米に生まれた。久留米高等小学校では青木と同級であった。その後の思い出として「直ぐ後ろの机に君の席があった時の君のにこにこした顔を覚えて居る」と、先の画集の追想起に書いている。坂本は幼少より絵を描くのが好きで、久留米の洋画家森三美の画塾に通っていた。やがてその画塾にも通うようになるのである。
1899(明治32)年、青木が画家を志して上京の際、坂本も誘われたが、家庭の事情が許さず断念した。が、1902年、青木が徴兵検査のため帰省した折、その画業の上達ぶりを見せつけられ、上京を決意した。上京後は青木と同宿、その年の秋の妙義浅間写生旅行に同郷の丸野豊とともに同行した。この旅行はほとんど無銭旅行に近く、このときの宿代は坂本が伯父に頼んで調達したらしいことが、坂本書簡より推測できる。
1904(明治37)年、今度は房州布良への写生旅行に、森田恒友、福田たねとともに同行。《海の幸》に描かれている光景を青木が実際に目にしたわけでなく、自分の話を聞いて想像で描いたものだということを明かしたのは、《海の幸》制作から65年もたった坂本最晩年のことであった。常に青木と比較され続けてきた老画家が、悔いのない自らの人生を振り返ったとき、初めて若い頃の思い出を冷静に語る境地に達したのかもしれない。同時に「目に見えない競争意識があったのは事実です」とも、「これほど尊敬と批判の交錯した微妙な陰影を投げかけた友はなく」とも語っている。

《海の幸》に見る青木繁の想像力
に、青木繁が公に《海の幸》について語ったことは極めてすくなく、《わだつみのいろこの宮》について書いた文章のなかに一節、
抑も造形美術絵画の健全な主観的成立には我輩の考えを以ってすれば(一)想(二)知(三)技、この三要素が在て各矛盾したる鼎の脚の如きもので何れの一つを欠く事ができないのである、・・・・「海の幸」は第一要素の「想」を主にして試みた積りで落想の印象に注意したが幾分顕はれたと思いついたから其目的は多少達したものとしておき、・・・・とあり
サメを背負う男の図想には前田夕暮の歌集「生れくる日に」のための坂本繁二郎の挿絵がある・・・・。

海の幸
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悲劇の洋画家 青木繁 伝 
のあとがきに
この海辺の牛の絵は、青木繁の生前、一度も展覧会に出品されることはなかったが、坂本は、同趣向の海の絵を、繁没後翌年の第六回文展に『うすれ日』と題して応募し、漱石に「この牛は何かを考えている・・・・」と激賞され、大正三年には『海岸の牛』という作品を発表している。
とあります。

身近な人が相互に影響があるのは当然なのでしょうし、ゼロから何かをというのはなかなかどうして、と思うのです。という凡人説を・・・・アチャ。

11月1日(火)

SAGA佐賀

YS-11
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引用ーー>
YS-11とは・・・
 今から半世紀ほど前に、当時の技術者が設計に没頭し、日本の航空機製造技術を結集して、完成した純国産旅客機です。
それからの約10年間で、182機が製造され、国内だけでなく世界各地で活躍しました。
 東京オリンピックの聖火を輸送したことで話題となり、当時の日本技術の象徴的存在として、多くの人々に愛されました。
 しかし、新たな衝突防止装置の設置が困難となり、平成18年9月30日のラストフライトをもって、惜しまれながら国内の民間定期路線より引退しており、現在は限られた場所でしかその姿を見ることができません。
有明佐賀空港のYS-11
 記念すべき100番目に製造された機体で、有明佐賀空港の開港にあわせてエアーニッポンから寄贈されました。
開港当初は、一般公開を行っていましたが、貨物地区の拡張に伴い、平成17年5月に一般公開を中止し、それ以降は、毎年9月に実施される「空の日」イベントなどの際にのみ公開しています。
YS-11の一般公開へ向けて、準備を行っています!
 現在は、有明佐賀空港の制限区域内に設置されており公開されていませんが、平成21年12月19日に佐賀空港公園へ移設しました。
これからは塗装を塗り替え、平成22年3月28日からに一般公開を再開します。

<--引用終わり

毎週水・土・日曜日、祝日、小中学校の夏休み・冬休み・春休みに公開が再開されているようですがこの日はあいにく、金網が入るのを避けて隅から隅まで全体を撮るのはこの方法しかありませんでした。

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今昔田舎亭

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