4月30日(土)

雨にも負けず、風にも負けず有田陶器祭りに行ってきました。

かもめ
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博多駅で鉄分補給ですが、リレーつばめはシールが貼られ汎用的な特急になっているようです。

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結構好きなところなのですが少し人通りがあれば

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ラーメンもパスタも器込かは確認してません、昔コーヒーはカップ込だったような。焼きカレーは器を選べ値段は違うようですが、待ち行列でとてものさる状況ではありませんでした。一度はのさってと思いますが平日にのさらんとのさりこなさんですね。

創ギャラリーおおた<ーークリックで飛びます。

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不易流行のポットに危なく手がでそうになりましたが、どっこい天候が押し留めてくれました。電灯の傘はとても気に入りましたが、探し回り列車で帰ることを思い押し留まりました。

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4月29日(金)

バイト先藤が見頃になっています。
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絶好のコンディションの中、今年も無事にふる里ウォークが終わりました。
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あらためて確認しましたほとんどの子供達は
    広いとこを見ると走りました。
    高いところを見ると登りました。
その先に何があるかを確認しようとしているのでしょうか?

    大人もあまりの天気の良さに登りました。
過ぎ去った年・月を探そうとしているのでしょうか?子供には戻れないけれど・・・・。


http://www.youtube.com/watch?v=UKGIroGyrT8&feature=fvwrel
↑見ていて陶器市に行きたくなりました?

4月28日(木)

24日上津江名残の桜です。

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24日ですが例年の所のシャクナゲはまだまだでした。

4月27日(水)

昨日車を洗いました。タイミングよく今日はとともに雨が降っています。

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居住地域の地震
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おさまっています。

先だっては市内(熊入)で火事がありました。無理やりですが結構揃ったかんじです。

4月26日(火)

Mさんから今年の1月10日に下記のような質問をされていました。
青木磨崖梵字群から少し菊水インターの方に向かったところに、凱旋門の跡と書いてあるのを見つけました。
昔、そこに凱旋門があったのでしょうか?


えぇ~凱旋門と言ったら
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門を思い浮かべて・・・・

そうなら市史か町史に載っているのではと思ってましたが、その頃(今年の1月)そこが玉名か和水かさえ分からず課題だけは頭に残っていました。

そして下記要件で
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県立装飾古墳館に打ち合わせに・・・・。

その間、私は本棚に菊水町史を発見し上記質問をしてみました。
それだけの情報じゃ分からんでしょうがと、しかし何処かに電話をされて「OKある!と」

シリーズ名  熊本県文化財調査報告
シリーズ番号 第225号
書名     前田遺跡
副書名    国土交通省菊池川河川事務所月田地区排水樋管築堤工事及び県道玉名立花線
       単県道路改良事業に伴う埋蔵文化財の調査

この本のコピーをして下さいました。

そして「県の図書館に行ってこのシリーズ番号で出してくれますよ」と

附論に
【凱旋門と従軍姓名碑】として記載されています。


そして発見された凱旋門
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前田遺跡に記載されているのと若干違っており、その後保存活動の結果現状にいたっているのかもしれません。
この本の凱旋門記載部分での引用先が、アマチュア無線のコールサインをもたれている方のホームページからで、個人的に小さな驚きがありました。

なんかデュアルコアとかクアッドコアなんかよりやたらとアカデミックな気がしました。

PS:風をさがしては 4月49日ではありません29日の間違いで印刷後に発覚し、各村の掲示はボールペンで訂正してあります。 と言う落ちまで

4月25日(月)

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またまたで目が覚めました。おっとまた・・・・
平成23年04月25日05時29分 25日05時25分頃 熊本県熊本地方 M2.9 震度1
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震源地は↓と同じで熊本県熊本地方揺れたのはほぼ九州全域のようです。

震源は北緯33.0度、東経130.7度
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4月24日(日) 2

6度でした。寒い。
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各地の震度
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4月24日(日)

今日は曇でその後雨でしょうか・・・・。

ど~も震源は居住地あたりのようです。
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この辺では普段より体に感じる地震が多い気がします。

昔の写真で出ています。東大寺大仏殿(2002.12.30)
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戒壇院

翌年、母親が最初の帯状発疹になりました。

4月23日(土)

ど~も震源は居住地あたりのようです。

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今の時期気になりまして少しの揺れで目が覚めてしまいます。


八女
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4月22日(金)

バイト先、八重桜、シバザクラが満開でハナミズキが咲き始めています。

ハナミズキ
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アメリカに桜を贈った時の返礼でしたでしょうか。

そして一青窈ハナミズキ
http://www.youtube.com/watch?v=ty187Qf2bRM&feature=related
合唱
http://www.youtube.com/watch?v=7Z3tiAjhEmI&feature=related


炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
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4月21日(木)

天気は良いのですが肌寒い朝方でした。

移動体は難しい
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金網が掛かりました。

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動いているように撮るには練習が必用です(ちょっとがけにはいかんです)。 

4月19日(火)

今日はみょーな天気でしかも寒かったのです。

石人山古墳 築造は5世紀前半代の終わり頃(古墳時代中期)
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石人山古墳の名の起こりとなった武装石人(1.8m)
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俗信により痛いところと同じ石人の部分をさすると治るということから、そこが傷んだ原因とされていますが、ただ腰の部分は今日なお丹彩の痕跡をとどめています(赤い部分)。

石室は「竪穴系横口式石室」で
石棺は阿蘇凝灰岩製の「妻入り横口式家形石棺」
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長辺の上段に縦の凸帯で5区に分割しています。この5区の中央に重圏文(二重丸の文様)を連接して浮き彫りして、この5個の重圏文に対応する同じ構図の直弧文(直線と帯状の弧線が組み合わされた文様)が、連接して浮き彫りされています。特に弧帯は流麗なラインと起伏で立体的に表現されています。
パンフレットより

やはり、石棺の装飾文様をみてスラスラと説明がでてくるのは、デュアルとかクアッドコアなんかよりやたらとカッコイイ気がしています。

4月18日(月)

一応晴れのような、ただすっきりしてて突然雲がのような天気でした。

今朝7時に22年度資料の提出をもって一区切りつきました。


装飾古墳モニター 保存と公開のはざ間でのデータとりということらしいですが、壁画系の保存が結構悩みどころのようです。

壁画の劣化、今後の課題(高松塚古墳)
引用ーー>
発掘調査以降、壁画は現状のまま現地保存することになり、文化庁が石室内の温度や湿度の調整、防カビ処理などの保存管理、そして1981年以降年1回の定期点検を行ってきた。しかし、2002年から2003年にかけて撮影された写真を調べた結果、雨水の浸入やカビの発生などにより壁画の退色・変色が顕著になっていることが2004年に明らかにされた。
高松塚古墳壁画のカビによる劣化が一般に知られるようになったのは、文化庁が2004年6月に出版した『国宝高松塚古墳壁画』により現状が明らかになり、新聞で大々的に報道されてからである。1972年の壁画発見当時、石室内には南壁の盗掘孔から流れ込んだ土砂が堆積しており、東壁の男子群像の右半分など、土砂や地下水の影響で画面が汚染されている部分もあったが、壁画の大部分には鮮明な色彩が残されていた。これらの壁画は切石に直接描いたものではなく、切石の上に数ミリの厚さに塗られた漆喰層の上に描かれているが、漆喰自体が脆弱化しており、剥落の危険性が懸念されていた。また、1,300年近く土中にあり、閉鎖された環境で保存されてきた石室が開口され、人が入り込むことによって温湿度などの環境変化、カビ、虫などの生物による壁画の劣化が懸念された。劣化をいかに食い止め、壁画を後世に伝えていくかについては、発見当初からさまざまに検討されていた。
石室は大人2人がかがんだ姿勢でようやく入れる程度の広さしかなく、スペースの点だけを考えても、現地での一般公開は到底不可能であった。石室内は相対湿度が100%近い高湿の環境であり、修理や調査のために人が短時間石室内に入っただけでも温度の上昇と湿度の低下をもたらした。壁画の保存方法については内外の専門家からさまざまな意見が出され、石室から壁画を剥がして別途保存する方法を含め、さまざまな案が検討されたが、最終的には石室は解体せず、壁画は現地で保存することに決した。
その後、石室南側の前室部分に1974年から空調設備を備えた保存施設の建設が始まり、1976年3月に完成をみた。この保存施設は前室、準備室、機械室からなり、石室内部の温湿度をモニターしつつ、前室内の温湿度をそれに合わせて調整するものである。留意すべき点は、この保存施設は、古墳の石室内の温湿度を直接的に制御するものではなく、石室内の自然の温湿度の変化に合わせて前室の温湿度を調整しているという点である。つまり、点検修理等のために石室に人が入る際に、外部の温湿度の影響を受けないように、保存施設内の温湿度をあらかじめ石室内と同様の条件に調整する役目をもっている。壁画の保存修理工事は1976年9月から第1次、第2次、第3次に分けて実施され、1985年をもって第3次修理が終了している。この間、1980年にカビの大量発生をみるが、この時は薬品等を用いた除去策が功を奏した。
次にカビの大量発生をみたのは2001年である。同年2月、石室と保存施設との間の取合部(とりあいぶ)と呼ばれる部分の天井崩落防止作業を行った際、作業員が防護服を着用せずに入室したことが、結果的に大量のカビ発生につながったと指摘されている。「取合部」とは、保存施設と石室の境の、土がむき出しになっている部分である。壁画の劣化はこの時に突如始まったものではなく、徐々に進行していたものであるが、文化庁がカビ発生や壁画劣化の事実を公表していなかったため、国民の不審を招くこととなった。
その約1年後の2002年1月28日に西壁の損傷事故が起きた。この日、修復に当たっていた担当者の一人が誤って空気清浄機を倒し、西壁男子群像の下の余白に傷をつけた。同日、別の担当者は室内灯に接触し、西壁男子像の胸の部分の漆喰が剥落した。この2つの事故のうち、前者は絵のない余白部分についた傷であり、後者は壁画発見当時から流入土砂で汚損され、オリジナルの彩色が残らない部分であったため、石室外の土を水で溶いたもので修理がなされ、文化庁では「通常の修理」の範囲内であるとして、これらの事故を公表していなかった。
2003年3月、国宝高松塚古墳壁画緊急保存対策検討会が設置され、翌2004年6月には「緊急」を「恒久」に変えた国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会が発足した。同じ2004年6月には『国宝高松塚古墳』(文化庁監修、中央公論美術出版刊)が発刊され、壁画の劣化、特に西壁の「白虎」の著しい劣化が明らかとなった。2004年6月20日付け「朝日新聞」大阪本社版朝刊が「白虎」の劣化を大々的に報じたことで壁画の劣化問題が一般国民の関心を引くこととなった。
壁画の劣化防止策や保存方法について種々の検討が続けられた。特別史跡(古墳)と国宝(壁画)のいずれを守るのか議論が行われた。将来へ向けての壁画の修復と保存のあり方については、古墳の墳丘全体を保存施設で覆う方法、壁画を取り出して他の施設で恒久保存する方法など、あらゆる可能性が追求されたが、最終的に、壁画の描かれている石室をいったん解体・移動して修復し、修復完了後に元に戻すという方式が採用され、2005年6月27日、国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討会において、この方法を採用することが決定された。一部には、キトラ古墳同様に壁画を剥ぎ取って古墳外で保存すべきだという意見もあるが、計画では修復後に現地に戻すことになっている。
石室を解体し、壁画の描かれた切石を取り出すということは、見方によっては、特別史跡である墳丘の破壊である。これを受けて、同年10月25日、日本考古学協会は「特別史跡高松塚古墳の保全・保護を求める声明」を出し、史跡は現地で保存されるべきであると主張した。同年8月4日、飛鳥保存財団は「現地修復要望書」を文化庁と保存対策検討会に提出、明日香村議会は同年8月11日、壁画の現地保存対策要望を決議し、文化庁に提出するなど、関係者の間には現地での保存修復を望む声も依然高かった。
2001年から2002年にかけて起きたカビの大量発生と西壁の損傷事故については第三者による調査委員会(高松塚古墳取合部天井の崩落止め工事及び石室西壁の損傷事故に関する調査委員会、座長:石沢良昭・上智大学学長)において再調査された。同委員会は2006年6月19日に報告書を国へ提出。そこでは、文化庁の縦割りセクショナリズムの弊害、情報公開への意識の低さなどが指摘されている。高松塚古墳の場合、特別史跡である古墳自体は文化庁記念物課、国宝である壁画は美術工芸課(2001年1月より美術学芸課と改称)の管轄であり、両者の連携が十分ではなかったとされている。2001年2月の天井崩落防止工事に伴うカビの大量発生については、作業員が滅菌した防護服を着用していなかったことが原因とされている。この工事は記念物課が発注したが、現場の管理は美術学芸課にまかせきりで、記念物課の職員は工事に一切立ち会わなかった。東京文化財研究所には工事を実施すること自体が知らされていなかった。また、防護服の着用などを定めた「保存修理マニュアル」の存在も現場に周知されておらず、結果的にカビの大量発生を招いた。しかも、カビ発生の事実が公表されたのはそれから2年も後のことであった。2002年1月には前述のとおり西壁の2箇所に損傷が生じているが、文化庁はこの事実を公表せず、傷が目立たないように補彩していた。補彩は上記の西壁の2箇所以外に東壁、北壁、天井にも行われていたがこれについても公表されなかった。また、西壁損傷事故の2年前の2000年3月21日に撮影された(損傷前の)壁画写真を「最新の写真」と偽って新聞社に提供していたことも明らかになった。
この事態を受けて、文化庁により「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策」を目的とした古墳の発掘調査が始まり、埋もれていた周溝などが発見されて古墳の本来の形状が明らかにされつつある。また、墳丘からは過去の地震によると思われる亀裂が多数発見されており、虫や雨水の進入経路になったと考えられている。
墳丘の発掘調査と石室の解体修理は2006年10月2日に開始された。2007年1月には古墳全体を覆う断熱覆屋が完成、内部の温湿度は10℃、90%に保たれた。同年3月12日には国営飛鳥歴史公園内に修理施設が完成した。石室はいったん解体・搬出した後、この修理施設へ移され、修復が行われることになった。4月5日には4枚の天井石のうちの1枚がクレーンで吊り上げられ、専用車両で修理施設へと移された。以後、4枚の天井石と8枚の壁石は1枚ずつ移動され、5月10日・11日には「西壁石3」と呼ばれる、「飛鳥美人」が描かれた石が移動された。最後の12枚目の壁石(西壁石1)が移動されたのは6月26日のことである。移動された壁画は、10年間かけて保存修理が行われ、修理完成後はもとの古墳へ戻される予定になっている。
修理中の2008年11月25日に顔料分析中、東壁女子群像の顔料部分を機材で損傷する事故を起こしている。
その後は保存施設の撤去と共に発掘調査に基づく形状の復元工事が行われ、2009年10月24日から一般公開された。墳丘の角度が急であるため、植垣と柵で囲まれており、立ち入りはできないようになっている

<--引用終わり Wikpediaより

最後に訪れた石人山古墳を説明された方が、弘化谷古墳の4月の公開はもう終わっていましたが、弘化谷古墳が開けらられてすぐの時の色の鮮やかさを語られたのが印象的でした。

てなことで、人の入室による温湿度を計測するために、古墳館の方が機器をぶら下げモニターされておられました。

竹原古墳あたり
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この扉を開け中に入りこの扉を閉めさらに中の扉を開けるという、外の空気と中の空気が簡単に混ざらないようになっています。

「これは同心円文であれは蕨手文ばい」とかなんとか、デュアルとかクアッドコアなんかよりちょっとカッコイイ気がしています。

4月16日(土)

今日は曇りでした。
春の装飾古墳モニターバスツアー -遠賀川流域の装飾古墳を訪ねてー に出かけてきました。

装飾古墳の数
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引用ーー>
装飾古墳(そうしょくこふん)とは、内部の壁や石棺に絵画、文様、彫刻などの装飾のある古墳の総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。大半が九州地方、特に熊本県に集中している。熊本県山鹿市のチブサン古墳などが有名である。
概要
装飾古墳の分布については、全国に600ぐらいあり、その半数以上に当たる340基が九州地方に、100基が関東地方に、50基が山陰地方に、40基が近畿地方に、約40基が東北地方にあり、その他は7県に点在している。
古墳時代初期から装飾が施されていた。 初期には刳抜式石棺(くりぬきしきせっかん)の側面や蓋の上に、 中期には組み合わせ式長持ち石棺の蓋の上面、家形石棺の蓋および棺の内側や外側、箱形石棺にも、 そして、5世紀前半頃には横穴式石室にも彫刻や彩色の方法で装飾が施され、さらには石室内全体にまで及んだ。
装飾方法は、浮き彫り、線刻、彩色の3手法があり、浮き彫りや線刻に彩色するなどの併用手法を用いている。 最初期の装飾手法は、彫刻が主流であり、線刻は一部で用いられ、浮き彫りが多く、彩色は赤色顔料だけである。 5世紀ごろになると彫刻されたものに赤色以外の色が使用されるようになる。 6世紀になると浮き彫りを基調とする彫刻がなくなり、基本的には彩色だけで文様が描かれるようになり、石室の壁全体に図柄が描かれるようになる。 7世紀末から8世紀初めの奈良県高松塚古墳やキトラ古墳は、装飾古墳とは系統を異にするもので壁画古墳と呼び分けている。
装飾古墳に描かれた文様には幾何学的・抽象的な直弧文(ちょっこもん)・蕨手文(わらびてもん)・鍵手(かぎのてもん)文・円文・同心円文・連続三角文・菱形文・双脚輪状文(そうきゃくりんじょうもん)・区画文などがあるが、何を表しているのか分からない文である。 次に、具象的な図柄では盾・靱(ゆぎ)・甲冑・刀・船などの武器・武具・その他の器物や人物・馬・鳥・蟾蜍(ひきがえる)・朱雀などである。 人物や鳥獣には大陸文化に影響が認められる。
築造時期
4世紀〜7世紀頃に造られ、古墳時代の中では後期に位置する。

<--引用終わり Wikipediaより

竹原古墳、王塚古墳、千道古墳、石人山古墳とまわりました。
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続く


4月15日(金)

本日 HARU -今昔田舎亭と竜の写真展- 終了いたしました。

終わってみれば早いものですが、今後の励みと良き思い出となりました。
ご来館いただき叱咤激励いただいた皆様に心より御礼申し上げます。

有難うございました。
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まことに有難うございました。
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末筆ながらこの場を提供いただいた鹿央物産館の方々に感謝申し上げます。有難うございました。
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4月13日(水)

ラジオがたくさんあるよ・・・・ということで。

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日替わりランチ
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なんかバランスしてないと言うか、色使いといいある種の抽象画のような、なんだろう不安定感があります。
鳴らないそうですが古いラジオが十数台、目覚まし時計が何個かあり、中央のシャンデリアはまさにヘビメタなんと100kgが天井から(プロパンガスのボンベ、鍋などの活用)、この時期別の不安も頭をよぎりました。
いろんな客層を狙ってこのアンバランス感は凄いし、この世の中ようわからんね的で頭の中のが混乱するのです。
なるほど左の方に?が在ります。

4月12日(火)

昨日から結構強い余震が続いているようで何かと気になります。

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被災地の子供たちの映像を見ていまして、なんとなく聴いてみたくなりポチとしてしまいました。
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聴いていて少しは私自身・・・・・・・・(夢をあきらめないで)。

あたりまえのようにある水
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4月11日(月)

弁当配達の場所の確認のために菊鹿方面へ、途中「この辺に円筒分水工」があるばいと言ったらM氏がどこね見てみようかと・・・・。昨年の夏に通潤用水小笹円形分水を見て以来分水工は興味深いものの一つです。

御宇田井手の扇形分水(おうだいでのおおぎがたぶんすい)
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円筒分水ドット・コム<--クリックで飛びます。
引用ーー>
井手、井路は水路を意味する言葉である。
内田川の水を締め切った御宇田堰から右岸側へ用水を導くが、この扇形分水によって引き込んだ水の一部を御宇田堰下流の内田川へ戻している。
水を取り過ぎないように配慮する施設だ。
内田川の下流には他の取水堰もあるので、川の水をここで全て使い切ってしまってはならないのだ。上流優先の原則はあるものの互譲の精神で水争いを避ける。この扇形分水には円筒分水の魂が込められているのだ。

<--引用終わり 円筒分水ドット・コムより


枝雀
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おお昔米朝にはまってましたが、最近たまたま初回枝雀を490円で買ってはまりかけ、5回枝雀1190円も買ってしまいました。

4月10日(日)

今日は風が冷たい感じでしたが良い天気でした。

今日の蜂窩織炎は包帯がとれました。最新のガーゼ付き広域テープで傷口をおさえてあります。入浴はまだのようですが、もう安心領域に入ったものと思われ、本日をもって蜂窩織炎の経過報告を終わりたいと思います。

これで蜂窩織炎が少しは認識されたかもしれません。周りの人に聞いたところ結構発症率は高そうです。ただ病名を知らない方がほとんどです。繰り返しになりますがほうかしきえんと読みます。



炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
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オムライスかれこれもう何年食べてないでしょうか・・・・。考えてみると一生にビックリするほどは食べないですね。約538回くらいでしょうか?(数字にまったく意味はありません(仏教伝来の年))おそらく大化の改新は多分食べない気がしています。

4月9日(土)

今日は良い天気になりました。

今日の蜂窩織炎は「腫れも引いてきて良くなってきた」と言われたようです。安静からゴソゴソとできるようになってきました。良くなってきたと言われたら動きたくなるものですが、まだまだ通院は続きます。

ボチボチ桜も下(道)のほうが・・・・おうちゃくせずに這いつくばって
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痛い話を 麻酔をして速攻で(麻酔の効きはじめ)で切られたらしく「あいた~!」と叫んだようです。IMAGINE


バイト先からもどると、なんと「直行バス乗り放題(BLOG4月6日)」の会員証がすでに届いていました。
おまけの山鹿温泉・平山温泉の入浴券もついてましたが、これは会員証を見せなくてもいいのだと思いますが、まだ会員規約をしっかり読んでいません。ちなみに予約後3回のキャンセルで退会(レッド・カード)させられるようです。

4月8日(金)

今日は雨でした。

今日の蜂窩織炎は切ったからか良くなってきていると言う判定のようでした。先が見えてきました。

雨の中おうちゃくして車の中から
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外に出て撮らないと、これではいかんですね。

4月7日(木)

今日は昼頃から曇ってきました。

今日の蜂窩織炎は切りました。前の引用では(蜂窩織炎の場合は化膿性関節炎を医原性に作ってしまうため関節穿刺が禁忌となる)なのですが、すでに化膿性関節炎になっているのでしょうか?
いずれにしても整形外科ですから、これで先が見えるのでしょう。それで安静のうえにしっかりがつきました。

病院付近マクロで
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写真を撮っていて気が付いたのですが、私としては黄色は好ましくない色ではないかと・・・・なぜなら撮っていて吐きそうなほど気分が悪くなりました。いやマクロレンズのせいかも知れませんが?

4月6日(水)

今日も引き続きよい天気でした。
そして入学式でした。桜のもとでの入学式だったと思われます。

申し込んできました。
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こちらから申し込むのもなんなんですが、往復と半分でトントンとのことですが乗り放題ということでツイツイ惹かれました。温泉宿から送迎バスを出すことを考えると結構ありかも知れませんね。

ドラムとキー・ボードとギターを買いました。なんと600円です。
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今日はお徳二つで


炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
IMG56152-M.jpgが、刺身の盛り合わせです。

4月5日(火)

今日も雲ひとつない良い天気でした。

今日の蜂窩織炎は「切っとしゃが早やかばってんな」「薬ば変えてみます」とのこと・・・・先だっての引用(炎症が重度の場合は入院適応となり、患肢挙上のうえベッド上安静にしセファゾリン等原因菌群に合わせた抗生物質を点滴投与とする。外来治療が可能な場合は安静にし、患肢挙上のうえ抗生物質の経口投与を約7日間程度行うが、それ以上かかる場合もあり、2週間ほど投与する場合もある。 セフェム系薬剤に治療抵抗性を示すときには、市中獲得型MRSA(=CA-MRSA)も念頭に置き、ST合剤やミノサイクリン、クリンダマイシンを用いることがある。)抗生物質の点滴投与の日数はありませんが、経口投与で約7日間程度から2週間ほど投与する場合もある。とありますので・・・・ぼちぼちと気長に。

そんな状況でその辺の今日の桜です。
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炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
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今まで同様何の意味もございません。
こういう状況での自己完結型の補助的あるいはバックアップとしての役割のものです。時としてメインになるケースもしばしばですが鍋と箸だけで済みます。

4月4日(月)

今日は雲ひとつない良い天気でした。

今日の蜂窩織炎はいつもの点滴を行い、「手術をすると早く良くなりますが」「もう歳だからこのまま(時間がかかっても)よかですばいた」と・・・・一昨日の引用(関節炎では関節穿刺を行うが蜂窩織炎の場合は化膿性関節炎を医原性に作ってしまうため関節穿刺が禁忌となる)では、はて?・・・・まあ気長に。

病院からの帰りに、あまりの天気のよさに、今年始めての不動岩方面に
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炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
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今まで同様何の意味もございません。

4月3日(日)

曇りの一日でした。

今日の蜂窩織炎はいつもの点滴を行い、血液検査をしたそうです 昨日の引用では(表皮に感染した場合は伝染性膿痂疹となる。顔面、四肢に好発し、境界不明瞭な局所の発赤、腫脹、疼痛、熱感が急速に拡大する。発熱、頭痛、悪寒、関節痛を伴うこともある。ここまでいくと血液検査でも炎症所見がとれるが、基本的には局所感染であるため、血液検査で炎症所見はとれないことが多い。)とありますが、
とにかく安静にして・・・・長引きますと・・・・。

また、看護士の娘さんのいる友人に「蜂窩織炎てなんじゃろか?を聞いておいて」と依頼したわけですが、そもそも口頭のみで蜂窩織炎が伝わったどうかわかりません。
病気の頻度(結構いらっしゃる)が高いにもかかわらず、正確に病名を蜂窩織炎と認識されていた方は大牟田の方一名と、なかなか説明できない病気・病名であることを認識したしだいです。
「ほんなこて訳のわからん病気ばかりしてのさん」と言っておりますが、「どうも、どしこでんおらすごたるばい」と慰めています。


炭水化物の多くは分子式が CmH2nOnです。
R0013109-M.jpg今まで同様何の意味もございません。

4月2日(土)

蜂窩織炎(ほうかしきえん)
引用ーー>
好中球の浸潤が限局せず組織内にびまん性に広がり、細胞間質を広範囲に融解し細胞実質を壊死分解させている、進展性の化膿性炎症である。蜂巣織炎(ほうそうしきえん)、蜂巣炎(ほうそうえん)、フレグモーネともいう。
「蜂窩」とはハチの巣のことで、顕微鏡標本上に見える、浮遊している好中球をハチの幼虫に見立て、融解し切らずに残っている間質を巣の仕切りに見立てた名称である。
皮下組織などの疎性結合組織に好発する。また、指趾の先端部皮下で発生したものは瘭疽(ひょうそ)という。口腔内にできたものは口底蜂窩織炎と呼ぶ。関節周囲に生じた蜂窩織炎は感染性関節炎の鑑別疾患となる。蜂窩織炎がある場合は関節穿刺が禁忌になるからである。
概要
蜂窩織炎は基本的には黄色ブドウ球菌などによる皮膚感染症である。感染部位は真皮から皮下脂肪組織である。表皮に感染した場合は伝染性膿痂疹となる。顔面、四肢に好発し、境界不明瞭な局所の発赤、腫脹、疼痛、熱感が急速に拡大する。発熱、頭痛、悪寒、関節痛を伴うこともある。ここまでいくと血液検査でも炎症所見がとれるが、基本的には局所感染であるため、血液検査で炎症所見はとれないことが多い。深層の感染であるため、伝染性膿痂疹と異なり飛び火はしないと考えられている。関節周囲に生じたときは化膿性関節炎との鑑別が難しい。化膿性関節炎では関節穿刺を行うが蜂窩織炎の場合は化膿性関節炎を医原性に作ってしまうため関節穿刺が禁忌となる。
治療
炎症が重度の場合は入院適応となり、患肢挙上のうえベッド上安静にしセファゾリン等原因菌群に合わせた抗生物質を点滴投与とする。外来治療が可能な場合は安静にし、患肢挙上のうえ抗生物質の経口投与を約7日間程度行うが、それ以上かかる場合もあり、2週間ほど投与する場合もある。 セフェム系薬剤に治療抵抗性を示すときには、市中獲得型MRSA(=CA-MRSA)も念頭に置き、ST合剤やミノサイクリン、クリンダマイシンを用いることがある。

<--引用終わり Wikpediaより

昨日は説明だけで訳がわからず今日書いてもらいました。「蜂窩織炎」読めません。よけいにわかりません。検索してみました。なるほどわかりにくいです。一週間以上点滴が続きそうです。

鹿央物産館「万葉の風」
R0013103-M.jpg

4月1日(金)

本日より始まりました。

HARU-M.jpg

4月15日まででございます。

今夕あるグループの退職お疲れ様でした会があり町に出向きましたが、少し時間があり目に付きました。

かってに甘味黄金のコンビ
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