霧島神宮

一月が終わります。

御朱印をいただく時に「大変ですねえ」と言いましたところ、「こちらの方が山には近いのですが、都城の方がもっと大変ですね」とおっしゃっておられました。霧島神宮でも不気味な音は聞こえていました。

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旧官幣大社の文字が
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火の山

宮崎自動車道 高原IC~都城IC 降灰で通行止め

高原ICに向け
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高原ICから御池方面に
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雪のように灰が積もり舞っている

このルートを断念、一般道を小林までもどり霧島高原へ雪中行軍し
不動池
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霧島温泉方面へ下り
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新燃岳方面
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噴煙がわずかに確認できるがこの時間に爆発したらしい。遠雷のような不気味な音が絶えず聞こえていた。
引用ーー>
活発な活動が続いている鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島山の新燃岳が30日午後、2日ぶりに爆発した。
27日に52年ぶりに爆発し、その後も活発な活動を続けている新燃岳は、30日午後1時57分に2日ぶりに爆発した。鹿児島地方気象台によると、爆発当時、新燃岳には厚い雲がかかっていたため噴煙や噴石を確認することはできなかったという。新燃岳は28日にも爆発しており、今回で3回目の爆発となる。
<--引用終わり

霧島温泉?直売所より
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実際目で見ることにより降灰のダメージと言うか深刻さがわかりました。それとこのような場合ネット上の情報が一番役に立ちそうな気がしています。

氷滝

「氷滝に行くぜい」とばかりに古閑の滝までビューンと、道中菊池水源より軽い雪中行軍となりました。

少し古閑の滝
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レストラン藤屋<--クリックで飛びます。
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ここで昼食をし、「1948年えらい古くからあるんですねえ!」「「何十年も前にここに泊まって山に登ったけど」と言われるお年寄りがみえますよ!」「ヘェ~登山基地の宿だったんですか!」とかなんとか言いながら、あの○○は何所にあるんですか?と聞いたところ、「この辺ですけど説明しにくいんですよね」「△△まで行ってそこで聞いてください」わかりました。ところがそこで店の方だと思うのですが、時間があるので私が車で先導しますからと親切に案内していただき、さらに○○の方を呼んでまでいただきましてとても感激いたしました。これだけでいい一日だったと思えます。自分はこういう思いを他の方にさせているのかなあと気になった次第です。

SUFFA表彰状
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熟成中の生ハム ひばり工房<--クリックで飛びます。
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ヒバリカフェ
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額縁風景和み系のいごこちの大変よいところですが、長居して道路が凍結するとまずいのでそうそうに撤退しました。しかしマダムお勧めの額縁風景和み系の所を紹介いただきましたので、折を見て和みに行こうと思っております。

久しぶりに3

1897(明治30)年 11月23日 第一竪坑開削着手
1903(明治35)年 11月27日 出炭操業開始
1931(昭和06)年 03月    囚人労働が終了
1951(昭和26)年 09月    万田坑採炭終了し坑内メンテナンス施設に
1954(昭和29)年 06月    第一竪坑櫓を解体・北海道芦別鉱業所へ
1997(平成09)年 03月    三井三池炭鉱の閉山により第二竪坑の坑口閉鎖
2009(平成21)年 01月    ユネスコ世界遺産暫定一覧に記載
                                      パンフレットより抜粋

なんと石炭を掘っている期間と後処理期間はそんなには変わらないのですねえ。

第二竪坑櫓下・ケージ(エレベータ)操作指示室(小屋)?
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ここの指示により巻揚機が運転され、三交代の炭鉱マンたちが二十名づつ、地下約264mと行き来していたそうです。

第一竪坑櫓基礎部より現存第二竪坑櫓を望む
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第一竪坑櫓は当時(1899年)東洋一の規模を誇った高さ30.7mだったそうで、第二竪坑櫓の1.8倍とか言われてました。その基礎部分からです。

もう少し続く予定です。

久しぶりに2

続きました。

万田抗
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すいませんまだまだ続きます。

久しぶりに

久しぶりの好天のような気がしますが風が冷たかったです。

日本の近代化を牽引
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整備されてから久しぶりに行ってみましたが、正式に中に入ったのは初めてです。

続く

中途半端

シルバー世代

引用ーー>
【シルバー世代】は誇りと信頼の世代
ページタイトルの背景
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 シルバー世代とは、Silver Haired (銀髪の人たち)世代のことで、十分な人生経験を持ち、社会的に最も信頼の置ける世代であると言われています。また、これより若い世代を Gray Haired (白髪の混じった人たち)世代と呼び、働き盛りで社会的にも一番期待の大きい世代です。日本語で言えばシルバー世代は熟年世代で、Gray Haired 世代は壮年世代とでも言うのでしょうか。
 それでは、どの年齢範囲の人たちをシルバー世代と呼ぶのだろうかと思い、アメリカのホームページを漁っているうちに、米国議会の関係組織の中に National Silver Haired Congress (NSHC) と言う組織を見付けました。その説明の中に
The National Silver Haired Congress (NSHC) was established by Congress as an opportunity for adults aged 60 and over to meet and develop proposals and recommendations for national legislation.
と言う記述があり、この組織は60才以上の人たちにより構成されているということです。何故60才に決められたのかは分かりませんが、おそらく、米国では60歳という年齢がシルバー世代と呼ばれる世代の始まりではないかと思います。
 私はシルバーという言葉が大好きで、シルバーという世代に憧れさえ持っていました。私が頭に描くシルバーとは、シルバーバック(Siver back)と呼ばれる背中に銀髪をなびかせたゴリラのボスの勇姿です。グループのボスとして君臨し、グループの安全と秩序を命懸けで守るあの姿です。
 しかし、現在の日本では(平成11年現在)、シルバー世代と言えば、殆どの場合65才以上の人の総称として使われています。殆どの会社が60歳の定年制を敷いていますし、厚生年金は60歳から支給され、還暦は人生区切りの歳として広く社会に受け入れられています。それなのに、60歳以降の世代を総称する言葉が見当たりません。 どうも原因は、シルバー世代が高齢者と同義語として浸透していることと、日本の老齢年金や高齢者福祉制度にあるようです。つまり、現在、国民年金の支給が65才から(現在60才から支給されている諸公的老齢年金も将来は65才からの支給に順次移行されつつある)であると同時に、行政の高齢者優遇措置も殆どが65才以上の人たちを対象としています。従って、65才未満の人たちをシルバー世代(高齢者)の範疇に入れることは実に(行政上)不都合であると言う日本固有の事情によるものではないでしょうか。高齢者の年齢は時代とともに繰り上げられてきました。ずっと昔はサラリーマンの定年が55才でした。それが、今は60才になり、遠からず65才になろうとしています。調べたわけではありませんが、行政の都合によってシルバー世代の年齢も繰り上がってきたような気がします。結局、現在のところ60才から支給される公的老齢年金と65才から支給される公的老齢年金があり、その狭間にある私たち60代前半世代が宙に浮いてしまったようです。
 アメリカのホームページで日本のシルバー世代に関する興味ある記述を見付けました。
[Silver Market]
There is a new demographic group in Japan which businesses are now targeting. People in this group are major purchasers of exercise and sports equipment. They're vitally interested in health foods and vitamin supplements. They enjoy leisure activities such as ballroom dancing, overseas travel and flower arrangement. And they're all over 65. Japan's so-called "silver generation" (people aged 65 or over) is perhaps the nation's most prosperous, comfortable generation of older people in its history.
この記事から察するにシルバー世代(高齢者)を65才以上の人たちの総称として使っているのは、日本固有のもの( Japan's so-called )のようです。
 この「全員集合シルバー世代」の家族である或大先輩に、インターネットは世界に向かって発信されていることをアドバイスされたことがあります。日本での基準に拘らず、「全員集合シルバー世代」では、誇りと信頼の世代である60歳以降の方々を米国議会のNational Silver Haired Congress (NSHC)にならってシルバー世代と呼んでゆきたいと思っています。

<--引用終わり
そういえば独特の浮遊感、不安定感は制度的都合によるものと思えば思えないこともない、逆に宇宙遊泳のよなうな・・・・星の写真に挑戦しようとしたが寒さにめげた。

好機到来?
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この中途半端に時としていらだったり心地よかったり。

へぇ~

いつからか明確には覚えていないのですが、数日前からブルーレィ・レコーダーが障害状態でした。メッセージは「ソフトウェアーの更新に失敗しました」でリセットや電源コード抜き取りなど一切効果なく放置していましが、天気予報、ニュース以外は録画したほうが圧倒的に効率がよいので、昨日ほとんど繋がらない相談室にTELし今日の対応となりました。
結局メディアでのソフト更新となったわけですが、衛星または地上波からの伝送上の問題かソフトの問題か原因がわからないようで、熊本はまだ数件ですが福岡は200件ほどで全国では相当の数になるようでした。
ちなみにソフトの電波でのダウンロードは昨日からやめているそうです。

だいぶ前にGPS衛星のデーターを狂わすプログラム開発でのサスペンス(相棒だったかな?)がありましたが、明日から車が川の中とか線路の上を走るかもしれません(昔はありましたが)。

昔のごはんで出ていますよ
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少し前の写真ででていますよ

どこから
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座主

地蔵祭りで(座主)した。

地蔵菩薩
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引用ーー>
という呼び名の由来については、公的な場所や市場内における特定の座席という意味に由来するとする説と同業者による集会の場という意味に由来するとする説の2説があり長年議論の対象となってきた(「座論争」)が、今日では座とは本来は一定の有資格者が一堂に会する場を指し、両方の意味合いを有していたとする説が有力である。また、地縁的結合をもって結成される場合もあり、「里座」・「町座」と呼ばれる里単位・町単位の座も結成された。座は公家や寺社を本所として座役を納め、あるいは奉仕を行い、本所は座の構成員である座衆に供御人・寄人・神人などの身分を与えてこれを保護した。
記録上に残る最古の座は青蓮院を本所とする八瀬里座で杣伐夫や駕輿丁によって構成されて青蓮院の本山である延暦寺や朝廷に奉仕を行い、後の八瀬童子の源流となった。鎌倉時代に入ると大都市や商工都市を中心として座の数が増加するようになる。代表的なものとしては京都においては後の西陣の源流となった大舎人の織手座や祇園社の綿座・錦座、北野社の麹座、山城大山崎の油座、摂津今宮の魚座、鎌倉の材木座、博多の油座などがあり、大和の興福寺や近江の日吉大社も多数の座を支配下に置いたことで知られていた。
座は仕入の独占を行い、必要に応じてはその商品の運搬路や運送具の独占すら行った。また、本所の政治力を背景として関所における通行税や市場における営業税の免除の特権を獲得した。その一方で自己の専売を確立した市場では座外の商人・職人の営業を禁止して座衆による独占を図り、座に属する小規模業者の維持に努めた。また、座同士の連携なども盛んに行われ、生産地の座と消費地の座が連携したり、大都市の座が地方の座を支配したりすることが行われた。
だが、室町時代に入ると座を取り巻く環境に変化が生じるようになる。京都における官衙を含めた領主権力が強化され、座の権威を無視して営業税をかけたり、地方の商工業者が地元の領主と結びついて座の権威打破を図ろうとした。こうした中で座も変質していき、本所から自立した営業集団に転化したり、官衙や領主との結びつきを強めて中にはこれらを新たな本所するものが出現したり、座衆の数を制限して世襲特権化を図ろうとした。それに対して新興商人側も「新座」と呼ばれる座を結成して既成の座と同様の特権を求める動きが現れ、更に「孫座」と呼ばれる第三の座すら現れる例もあった。
織田信長が新都市に楽市・楽座をおこない、最終的に豊臣秀吉によって中世の座は解体させられた。これによって座の特定は否認されたが、反対に領主と結びついた特定の御用商人による支配が確立するきっかけとなった。ただし、全ての座が解体した訳ではなく、座役を伴わない商業共同体として残ったものもある。また、芸能者では主要な大夫を家元とする芸能集団としての座が形成され、江戸時代以後に「○○座」という呼称で呼ばれるようになり、転じて劇場や映画館の名称としても用いられた。
江戸時代には幕府の管理下に金座・銀座などが作られた。


(こう)とは、同一の信仰を持つ人々による結社である。ただし、無尽講など相互扶助団体の名称に転用されるなど、「講」という名称で呼ばれる対象は多岐に渡っている。
元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。
この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。
講は講社ともいい、講の構成員を講員という。講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中から選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであった。立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって各地の神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。
相互扶助団体(頼母子講・無尽講)への転用は、この代参講から派生したものである。すなわち、皆で金を出しあって、参拝に行くのではなくその金をくじや入札によって構成員に融通するというものである。
<--引用終わり Wikipediaより

どうも座主より派生としては講のような気がしていますが・・・・講元、世話人。

かご

明日の地蔵さん祭りの準備に材料調達に行きちょっと回ってみました。

かご(楮)
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紙の数歩手前(楮皮)
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引用-->
■三加和和紙のはじまり
三加和町は江戸時代から和紙の産地として知られていました。天正15(1587)年の国衆一揆で荒れ果てた三加和の復興のため、元和5(1619)年に三加和山十町の北原両助が、芋生村(現在の鹿北町)の川原谷で和紙づくりを行なっていた慶春のもとで紙漉の技法を習得し、山十町で紙漉業をはじめました。元和7年には、両助の子どもである佐助・彦兵衛・両蔵が御用紙漉きを命じられました。三加和町を流れる和仁川・十町川(じっちょうがわ)の清流が楮(こうぞ)を晒すのに適していたこともあり、次第に和紙づくりに携わる人々が増えていきました。
江戸時代の「紙漉重宝記」によると、冬に刈り取った楮は、2尺5寸~3尺(約75~90cm)に切りそろえて鍋で蒸し、皮を剥いで乾燥させたのち、「一日一夜」川で晒して乾燥させて保存します。この楮皮をさらに煮て、川で晒し、樫または桜でつくった「擲台(たたきだい)」に乗せ、長さ3尺ほどの「擲棒」で叩いて繊維をほぐします。こうしてできた紙の原料に水を加え、「とろろ」(植物性の粘液)を入れかき混ぜます。その後、簀桁(すけた)で漉き、漉き終わった紙を紙床(しと)に重ねて水を切ります。もちろん漉いたばかりの紙は濡れていますから、紙と紙が付着しないように間に布を敷きます。水きりの後、1間ほどの板に「しべぼうき」を使いながら紙を丁寧に貼り付け、乾燥させると和紙ができます。

■三加和和紙の発展
寛文11(1671)年、熊本藩は楮の苗を植え付けるよう領内に命令を出し、明和8(1771)年には大坂から楮苗を取り寄せて植え付けを奨励しています。宝永6(1709)年には領内の紙は残らず紙座で扱うこととし、また、頻繁に紙や楮を他国へ売ることを禁止しています。寛政4(1792)年に山鹿と南関に紙楮問屋、天保13(1842)年に山鹿と板楠に紙楮会所を設けて県北の楮を取り扱わせました。早くから財政危機に直面していた熊本藩は、紙やロウといった特産品の生産を積極的に推進し、専売制の確立を図ろうとしたのです。

 さて、慶長13(1608)年の三加和における楮の植え付け面積は2反7畝18歩でしたが、明和9(1772)年には9反7畝27歩に増えています。当時の和紙づくりの従事者数や三加和全体の和紙の生産量については分かりませんが、「三加和町史 上巻」には山十町村の文化10年~文政5年(1813年~1822年)間の御用紙の生産高が記されてます。これによれば、文化10年~文化14年の御用紙の上納分は、銀にして22~32貫で推移していますが、文政年間に飛躍的に伸び、同2年には1万束(1束=300枚)、銀にして211貫、米に直せば約3500石に相当し、上十町村の村高が300石余りであることを考えれば、和紙づくりが同村にとって最も重要な産業であったことが分かります。また北原寿助が長崎・天草の、北原忠次が大坂の販路を開発し、三加和和紙の発展に貢献しました。
しかし、近代に入り、輸出の基幹産業として製糸業が発展すると養蚕業を行なう農家が増加し、また洋紙の需要が高まり、さらに機械製紙が発展すると、和紙づくりは次第に衰退していきます。緑・春高・神尾地区の場合を見てみると、江戸末期には約850戸以上が和紙づくりに携わっていましたが、明治12(1879)年には480戸余り、明治34年には290戸余りと大きく減少しています。
戦後の紙不足によって、三加和和紙づくりの従事者は一旦は増えたものの、昭和20年代より急激に減少し、昭和37年、ついに最後の1人の方も廃業されてしまいました。
<--引用終わり(県庁HP 地域発 ふるさとの自然と文化)

かなり昔から見に行きだしたのですが、もう少しあったような気がしていますが・・・・はて。

九枡弁当

撮り溜まったビデオを見ながら消す作業をしました。

NHK特番「宇多田ヒカル ~今のわたし~」これは残しました。それは母の誕生日の大賀蓮を思い出しそのサイト(<--クリックで飛びます)に飛び「久しぶりの大事なお知らせ」「これは言っておかねば」の一連を読んだからです。
NHK特番「宇多田ヒカル ~今のわたし~」は1月23日(日) 午前1:15~2:04 <22日(土)深夜>に再放送されるようです。
昨日のジョブズと影響はどうなんだろうと考えてみたのですが、どちらの弁当が美味いかのように比較することでもないですね。美味しいとかと違う、なんか考え方・生き方のような影響を受けていそうな気がします。

九枡弁当
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雪の山をながめながら、IPadで宇多田を聞きながら、どこの九枡弁当が美味いか「ここのはどうだ?」と言ってるわけではありません。

続々さろく

引用
Apple
January 17, 2011
Apple Media Advisory
Apple CEO Steve Jobs today sent the following email to all Apple employees:

Team,
At my request, the board of directors has granted me a medical leave of absence so I can focus on my health. I will continue as CEO and be involved in major strategic decisions for the company.
I have asked Tim Cook to be responsible for all of Apple’s day to day operations. I have great confidence that Tim and the rest of the executive management team will do a terrific job executing the exciting plans we have in place for 2011.
I love Apple so much and hope to be back as soon as I can. In the meantime, my family and I would deeply appreciate respect for our privacy.
Steve

Press Contacts:Steve Dowling
Apple
引用終わり

なんとこれで株価が下がるんですもんね普通のCEOと・・・・場面が場面ですか。

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続さろく縦

縦にさろくと

うんとこ
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さろく

先日Rさんとの打ち合わせで街中を歩いてまして時計屋さんを発見しました。ネットや電話帳で探していたのですが見つからず、さっそく今夕方にふるーい腕時計のオーバーホールを頼みに行きました。ご主人はよけれる荷物はよけながら、それ以外は荷物の上をまたぎながら出てこられ、古封筒の裏に私に名前TEL番号を書かせました。見積もりが分かったらTELをくれるそうですが、今となっては本人が作業されるのではないとは思いますが、昔はバリバリだったような、あのごちゃごちゃは仕事はバッチリほかはグチャグチャの職人への先入観どおりの雰囲気の方でした。
そして街中を歩いてみました。

さろく
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まだまだマイナス

このところ朝方はずっとマイナスの気温が続いていますがなかなか慣れません。

バイト後に定例の医者行きをしましたが「今年は誰でも数値(a1c)が芳しくない」「おそらく寒かもんで動かっさんとじゃろ」と先生が・・・・私的には、外に出ない・・数値が悪くなる・・特に甘いお菓子や果物が売れない・・野菜も売れないの法則?にはまり込んでいるのではと思ったしだいです。
しかし、たまには無性に甘いものが食べたくなるもので「砂糖なめよ!」まで出る始末。帰りにはオッカサンの「菓子買うばい」宣言が出ました。
遅めの中途半端な昼食だったので夕食はせんべいで・・・・後でこれは反動というかやりすぎと反省しきりの日でした。

なんとなく
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昔の写真ででていますよ4

久しぶりに日中は日差しが戻りなんだかほっと一息つきました。

10年前
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型式
ニコンデジタルカメラ E990
撮像素子
1/1.8 型 CCD (総画素数 334 万画素)
画像サイズ 2,048×1,536(FULL)、1,024×768(XGA)、640×480(VGA)、2,048×1,360(3:2)
レンズ
3 倍ズームニッコールレンズ、f=8~24mm (35 mm 判換算:38~115mm )、F2.5~F4 (8 群 9 枚)
電子ズーム
最大 4.0 倍
オートフォーカス
コントラスト検出方式、マルチエリアオートフォーカス可能
フォーカスエリア
5 箇所、M-REC 時 1 箇所を選択可能
フォーカスモード
コンティニュアス AF モード / シングル AF モード・遠景モード・スーパーマクロモードに切り換え可能、マニュアルフォーカス(50 ステップ)可能、AF・MF ともピーキングによるガイドあり
撮影距離
レンズ前枠から 30cm~∞(レンズ前枠から 2cm~∞(ズームはミドルポジション))
ファインダー
実像式ズームファインダー、視野率約 85%、倍率 0.4~1.1、LED 表示、視度補正機能付き (-2.0~+1.0Dpt.)
液晶モニタ
1.8 型低温ポリシリコン TFT 液晶、110,000 画素、視野率約 97%、バックライト輝度調節機能 5 段階、色調調節機能 11 段階
記録画像ファイル形式
JPEG 準拠 (Design rule for Camera File system=DPOF 準拠)、HI (非圧縮:TIFF-RGB )、QuickTime
撮影可能コマ数
8MB CF カード使用時に:FINE 約 5 コマ / NORMAL 約 10 コマ / BASIC 約 19 コマ (2,048x1,536pixel)
記録媒体
コンパクトフラッシュカード(Type I)
撮影モード
フルオートモード (A-REC) / カスタムモード ( M-REC : 撮影メニューによりホワイトバランス、測光モード、階調補正、エッジ強調の設定が可能)
カスタムセッティング
カスタムモード (M-REC) のメニュー設定の組み合わせを 3 種類まで記憶可能
撮影機能
1 コマ撮影、連写、高速連写、ウルトラハイスピード (UH) 連写、動画撮影 (QVGA・最長 40 秒・15fps)、 16 分割マルチ連写、ベストショットセレクタ (BSS)、モノクロモード、XGA モード、VGA モード、3:2 モード、電子 ズーム撮影モード、セルフタイマー
測光方式
マルチ測光(256 分割)、中央部重点測光、スポット測光(フォーカスエリアに連動も可能)
露出制御
プログラムオート、絞り優先オート、シャッター優先オート、マニュアル露出モード、プログラムシフト、絞り固定モード、露出補正 (-2~+2EV、1/3EVステップ)、オートブラケティング (-2/3~+2/3EV、 1/3EV ステップ、5 コマまで)
露出連動範囲(ISO 100 換算)
EV -2~15.5 (W 側)、EV -0.8~16.7 (T 側)
シャッター
メカニカルシャッターと CCD 電子シャッター併用 P モード:1 秒~1/1,000 秒、A/S モード:8 秒~1/1,000 秒、M モード:8 秒~1/1,000 秒・BuLb
絞り
7 枚羽根虹彩絞り(1/3EV ステップ、10 段階)
撮像感度
ISO100 相当、感度切り換え可能(オート / ISO 約 100 相当 / ISO 約 200 相当 / ISO 約 400 相当)
ホワイトバランス
マルチオートホワイトバランス、5 種類のマニュアル設定可能(微調整可能)、プリセット可能
セルフタイマー
3 秒、10 秒から選択可能
スピードライト
ガイドナンバー:9(ISO100・m)、調光方式:自動調光制御、発光モード:自動発光、強制発光、スローシンクロおよび赤目軽減自動発光(スピードライト発光前に 0.8 秒間ランププリ照射) の 5 モード切り換え可能
増灯ターミナル
増灯ブラケット「SK-E900」を介してニコン AF 一眼レフ用スピードライトが使用可能 (SB-22、22s 、24、25、26、28、28 DX にて自動増灯撮影が可能、増灯アダプタ AS-10、増灯コード SC-18、19 の使用で 5 灯まで増灯可能)
半押しタイマー
電源スイッチ ON 後、無操作状態で 30 秒後 OFF (メニューで 1 / 5 / 30 分から選択可能)
再生機能
1 コマ再生、サムネイル再生 [4 分割 / 9分割]、オートプレイ (スライドショー)、再生画拡大表示機能 (4 倍まで、 位置指定可能)、撮影情報表示、詳細情報表示、ハイライト表示、ヒストグラム表示、ピーキング機能
削除機能
クイックデリート、全コマ消去、指定コマ消去、フォルダ消去、カードフォーマット
インターフェース
USB インターフェース、シリアルインターフェース、ビデオ出力 ( NTSC / PAL メニュー切り換え)
入出力端子
外部電源入力、ビデオ出力、デジタル出力端子 (USB・シリアル共用)、増灯ターミナル
電源
1.5V LR6 単 3 形アルカリ乾電池×4 本、1.2V 単 3 形ニカド電池×4 本、 1.2V 単 3 形ニッケル水素電池×4 本、1.5V FR6 単 3 形リチウム電池×4 本、外部電源 (6.5V、1.9A)
連続撮影時間
約 90 分(液晶モニタ ON 時)
使用条件温度
温度/0℃~+40℃、湿度/85% 以下(結露しないこと)
外形寸法
約 149(W)×79(H)×38(D)mm(グリップ部 64mm)
質量(重さ)
約 390g(電池、コンパクトフラッシュカード除く)
付属品
コンパクトフラッシュカード (8MB)、ネックストラップ、レンズキャップ、ビデオケーブル、1.5V LR6 単 3 形アルカリ乾電池×4 本、使用説明書

今時の携帯電話より性能は低そうです。

昔の写真ででていますよ3

雪は積もりませんでしたがとにかく寒かったです。日中に向け気温が下がっていってるのではないかと思いたくなりました。
例のあれですね体感気温というのですね。今日の私の体感気温は客観的なものでなく、言葉通りの主観的なものではないかと・・・・風ではなく風邪のせいかとも思ったりします。すなわち私の体感気温がやけに寒い日でした。

春~よこい
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とにかく4時5時が一番寒いのだという物理的データによる先入観を捨てなければなりません。そうすることによりヒートテックなりの対応が出来たのにと思いました。

また雪の予報が

風が強く天気荒れ模様です。体調やや持ち直しぎみですがまた雪でめげるかもしれませんが、兆候(今年の場合)は手・足の指の関節がやたら痛くなるようです。

2011年1月1日
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明日ここまで降るとなにかと問題が発生すると予想されますので想定対応心構え(あきらめるを含む)を万全にしております。

想定対応心構え(あきらめるを含む)の具体例として
 ①大雪が降る予報がでているので、ものごとを確実に進めるべく午前4時には起きる。
 ②じたばたしても始まらないので一応午前5時に起きることにしよう。
 ③じたばたしてもなるようになるので普通のように午前6時に起きることにしたいと思いながら寝よう。
 ④平常心ですぐ寝よう。
あたりで大雪予報対応は万全ではないでしょうか。

しかし想定以上降ると困るなあ・・・・。
ハウスとかビニールトンネルで農業生産されているところは寝れないかもしれません。

気温を知ると

バイト先に出かける時気温がー2℃でしたが途中でー4℃まで下がりました。そこで県立装飾古墳館まで登ってみたところ、無論真っ白く霜は降りてまして気温はー4.5℃でした。

寒い!
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日が昇ってきました。
こんなところで何をやってるんだろうと思うことはありませんか、それほど寒く感じました。

昔の写真ででていますよ2

調子わろし

昔の写真ででていますよ2 洗心
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見た時はなるほどと思ったのですが、
いざ本当の意味は?
引用ーー>
洗心洞の洗心とは『易』繋辞(けいじ)上伝の「聖人此(これ)を以(もっ)て心を洗ひ、密(みつ)に退蔵す」に由来する。<--引用終わり
解り難い。

昔の写真ででていますよ

風邪をひくたびに「ここ何年もひいたことがなかったのに」と言いながら、どうも二年に一度くらいでひいているようです。

絶不調 昔の写真ででていますよ
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方向転換

もろもろの資料作成をとりあえず終了して、エンジンオイルの購入に出向きました。そして方向転換というべき前・後の泥除け(マットガード)を撤去することにしました。

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数年前に禁煙をしたのですがじわじわと体重が増加し車高が下がり(冗談)、狭い道で左折いきなり坂というような状況で地べたをこするのです。いわゆる小さな飛行機で乗客一人あたりの重量の上限が決められているのと同じです。重量制限は無理なのでせっかく付けた一番低い泥除けを取ることにしました。

たまたま8日に(九州横断特急)
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天気が悪いです

久々に晴れた日(8日)の雪景色

日陰では道も
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満開の桜模様の様
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このような状況は初めて見ます
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一番寒い日

今日は今年の最低気温を記録したようです。


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寒い朝からどんどやの準備をへて着火
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寒い

今日は珍しく晴れましたので、昨日で終えた313系の運行後の線路を磨き収納しました。ところが、手足の関節が痛みやたら寒く、明日はどんどやで準備作業があるのですが若干あぶなそうです。どういう訳か昨日よりカメラも不調になったのです。

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冬空

娘たちが帰名しましたが体調不良ぎみなので博多駅まで同行いたしました。
しかし、車とかバスとか特急ではなく815系、813系を乗り継いで寒い中そこそこ時間をかけて行って来ました。

復路 みぞれ船小屋駅
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復路 大牟田付近
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815系の大きな窓UVカット加工
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足湯

身近にありすぎてまず足をつけることはありませんでしたが・・・・

足湯
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小さい子が一番長く楽しんで?いました。よほど心地よかったのでしょう。

313系

昨年12月30日にばたばたしまして入手しましたが、12月31日より自宅にて不定期運行しております。

313系
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撮影は困難を極めましたがこれから訓練したいと思います(爆)。

JR東海、東海道線、関西本線、中央本線などで運用中らしいです。
またJR九州では813系のドアが閉まる時の音を気に入っているようです。

新春B/W

四つ山神社から海へ
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高コントラスト、モノクロです。
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